私のシンゴちゃん
    @  一人暮らしのゆきえおばあさんは、最近どうも 顔色がよくありません。 庭いじりをしていた時に転んでひざをけがしてしまい、 街で一番大きな交差点の向こうにある病院に通っているのですが、 もう一ヶ月になるのになかなか良くならないからです。 実をいうとおばあさんは「週に二回きてください」 と先生にいわれたのに一回しか行かないんです。 ま、病院の好きな人はあまりいませんけど、おばあさんは 病院よりもその手前の交差点が嫌いだったのです。 ビルに囲まれた大通りは、はばがとても広く、ひざに包帯を巻いているので ゆっくりとしかわたれないのです。 半分も行かないうちに、青信号が点滅をはじめ 「もうすぐ赤になるから早く渡ってください」とせきたてるし、 横に止まっている車が、スタートの準備をしているがわかるのですが あせるとよけいにうまく歩けないものですね。 今日も、赤い車に「早く渡れよ!俺が進めないだろ!」と いわんばかりにピーと鳴らされてしまい、 ころがるようにして渡りきりましたが、無理をしたので ひざがじーんと痛くなり、角に立っている 信号の柱につかまって休まずにはいられませんでした。 「やれやれ本当はもっとうまく歩けるんだけどねぇ。 帰りにもここをわたらなくちゃならないなんて」 と誰に言うともなくつぶやくと 「ごめんね、もっと青を長くしてあげたいんだけど、あまり長くすると ほかの車が困るから」という低い声が聞こえてきました。 周りを見渡しても誰もいません。おばあさんがきょろきょろしていると 「やあ、ぼくの声が聞こえるの?嬉しいなあ」 声は上から聞こえてくるようでした。
    A 「ぼくだよぼく、シンゴちゃんていう名前」 驚いて見上げると、つかまっている長い 柱の先にある、大きな三つのライトのうちの 緑色のが、すばやくウインクしたように見えました。 おばあさんにしか見えなかったんですけどね。 信号の横のガードレールにそって小さな花壇があり そのわきにベンチもあります。 おばあさんはベンチに腰をかけ 「あら、私に話し掛けてくれるなんてありがとう」 と小さく返事しました。 「どういたしまして。このごろおばあさんをみかけるようになって、 気にかかっていたんだよ。いつも一秒間だけ青の時間をのばして あげてたんだけど、」 「まあ、助けてくれたの。優しいのね。でもそんなことしたら 向こうの信号と時間がずれてしまうじゃないの」 「大丈夫、電気の線でつながっているからぼくの考えをわかってくれるよ。 「ぼくにはおおぜい友達がいるんだけど人間はおばあさんが 初めてだよ。みんなぼくが話し掛けても気が付いてくれないんだもん」 「私だって信号機の友達ははじめてよ」 「だからいつもはケヤキ君とおしゃべりしているの」 すぐそばに植わっている街路樹の枝が信号の柱に触れそう なくらいに伸びていました。 お婆さんの頭よりはるかに高い場所でしたけど、 枝がわずかに揺れて、まるで挨拶したように見えました。 おばあさんは、苦手だった病院通いがその日からあまり いやではなくなりました。
    B  しんごちゃんは街のことをいろいろ教えてくれました。 いつも夜明けの薄暗いうちに通りを掃除してくれるお兄さんのこと (お兄さんは掃除が済むとかならずしんごちゃんの柱を ぽんぽんと二回軽く叩いて行くのがくせだそうです。) でもせっかくきれいになった柱は、すぐ後で散歩にきた犬が おしっこをひっかけたり花壇の砂を散らしたりするので汚れてしまうこと、 でもその後で、花壇をこしらえているたばこやのおばさんが いつも同じ時刻にやってきて かならずしんごちゃんの周りも綺麗にしてくれること 三人(二人と一匹)は毎日同じことを繰り返しているのですが お互いのことを全然知らないのです。 そのほか、あんなこともこんなことも、 たくさん教えてくれます。 おばあさんはおばあさんで、病院の先生に「リハビリのためできるだけ 歩くようにしてください。それからカルシウムとビタミンをとってください」 といわれたことや、チーちゃんという名前のインコを飼っていること よもぎのおまんじゅうが好きなことなど話しました。 しんごちゃんはおばあさんと話しながらでも 乱暴運転の車を赤信号で叱ったり、学校帰りの小学生がよそ見している のを、黄色で注意をしたりと忙しくお仕事を続けていました。 大通りにはひっきりなしに車が行き交い、歩道もたくさんの人が 通り過ぎましたが二人?は長い時間おしゃべりをたのしみました。 それまで家にこもってばかりいたおばあさんは しんごちゃんに会いたくて、病院に行かない日でも 散歩にでかけるようになりました。 するとおばあさんのひざは見ちがるほど良くなってきました。 少したつと、引きずらなくても歩けるようになって、道を渡るのが こわくなくなりました。先生も「この頃調子がいいですね」 とほめてくれました。
    C  「ふさぎこんでばかりいないで外に出るようにしたからです」 と言うと先生が「そのとおり」と微笑みました。 あるお天気の良い日、 ふと思いついたおばあさんは、昔々のアルバムをしんごちゃんに見せて あげることにしました。 茶色っぽい風景写真がありました。野菜畑の中を狭い道が 通っていて、そのまわりに低い屋根の家が並んでいます 「私が中学のころのこの場所よ、今とは全然違うわね」 しんごちゃんは 「へぇーーー」とすっとんきょうな声を上げました。 「ビルなんてひとつもなかったし、道には車が一日に3台くらいしか 通らなかったわ。 のんびりしてとても楽しかったの」 「でも車が一日三台じゃ、ぼくが必要ないなあ」」 「そうねえ、今のこの場所はビルも車も多くて大変だけど、 こうしてしんごちゃんと会えたんだから感謝しなくちゃね」 アルバムにはその写真と同じ頃のおばあさんの写真もありました。 中学生なので、制服を着ています。長い髪を三つ編みにして、 もう一人制服姿の女の子と並んでいます。 みちこさんという名前で、おばあさんと一番の仲良しでした。 「とてもバラの花が好きなひとだったのでこの季節にはいつも思い 出すのよ」 「高校になってから遠くの街に引越ししてしまって、それからどうし ているのかわからないの。もう何十年も前のことだけど」 しんごちゃんは写真をしばらく眺めていましたが、 「みちこさんのことを知ってるかどうか遠くの仲間にたずねてみるね」 と言いました。 「えーそんなこともできるの」
    D  「当たり前だよ。線がつながっているんだからおやすいごよう。 僕の目を通して写真だって見せてあげられるよ。少しの間待っててね」 暖かい日だったので、おばあさんはベンチに腰掛けて、販売機で買っ た缶のジュースを飲んでいました。 飲み終わらないうちに 「彼女ととても似た人を知ってるって。毎日孫の女の子を連れて スーパーで買い物をするのを見かけるそうだよ。」と返事がありました。 「はやいわねえ、もうわかったの!でも、似ていても別の人かもしれ ないじゃないの」 「その人は、女の子がおばあさんになにかたずねるたびに、首を左に 傾けて考えるくせがあるんだって」 「あら、そのくせはみち子さんと同じだわ。そして答えがわからない ときは前髪をさわってひっぱるのよ」 「ちょっと待って・・・・・・うんうん、おんなの子がむずかしいこ とばかり尋ねるのでおばあさんは前髪をぎゅーっと引っ張るんだって」 「間違いないわ、その人絶対に美智子さんよ」おばあさんの声が大き くなりました。 「えっと、みどり市の、若葉町にいる仲間が教えてくれたんだよ。 信号のある交差点のすぐそばの青い屋根の家に暮らしてるって。 「みどり市って隣の県だから、電車で三時間かかるわね」 おばあさんの声はまたちいさくなりました。 「そうなの。でも、元気なことがわかったんだから十分ね。 ひざがよくなったらいつかたずねて行けるかもしれないもの」 そんな遠くへ一人で行くのは、ひざがなおってもちょっと無理かなと 心の中では思っていたんですけど。 「ふーん…」しんごちゃんも少しだまっていました。 でもすぐに 「あしたの晩だったら僕がつれていってあげられるよ」 「え?どういうこと?」おばあさんの口がぽかんとひらきました。
    E  「実は明日は僕の誕生日でさ、6年前に僕がこの場所に建てられたの。 それまではもっと低い信号機だったんだよ。 それで、誕生日の晩だけはここを離れて自由に動いてもいいの。 でもこれは内緒にしておいてね、僕が遊んでいるなんてみんなに知ら れたくないから」 「だって、しんごちゃんがいなかったら、車がぶつかってしまうじゃ ないの。夜だって走ってるわよ。」 「大丈夫、ケヤキ君に僕の代わりを頼んでるの」 「え………?」 「じゃ、車の流れが少なくなったら迎えに行くから待っててね」 「あらま………」 おばあさんの口が開いたままになってしまいました。 次の日の晩になりました。空がすっかり暗くなってそろそろ車が 減ってくる頃です。 おばあさんは部屋を行ったり来たりと落ち着きません。 やがて外でさわがしい音がしたと思ったら 「僕だよお」聞きなれたしんごちゃんの声がします。 戸を開けるとそこにいたのは信号機、ではなくて、白い車でした。 スポーツカーみたいな流線型のボディです。 「えへへ、一年に一度の僕の姿。カッコいいっしょ」 「へえーー、しんごちゃんすごいじゃない!」おばあさんがそっと ボディにさわりました するとドアがしずかに開きました。 「いつもは一人だけの誕生日なんだけど今年はおばあさんといっしょ なんてうれしいなあ。さ、乗ってください。安全運転間違いなし」 「ちょっと待っててね、みちこさんにあげるものがあるの」 お婆さんはさっきお庭で切ったバラを小さな束にまとめて持って来ま した。
    F  「しゅっぱーつ」しんごちゃんの元気のいい声で 車が動き出しました。と思ったら、なんだか体が軽くなって 窓の外の景色がどんどん下がって行きます。 ということは、あらまあ、空を飛んでいるんです。 「みどり市の若葉町まで10分で着きますよ」 しんごちゃんてなかなかやるじゃないですか。 でもおばあさんはふと心配になりました。 「みちこさん私のこと覚えててくれるかしら、突然私がたずねたり してきっとびっくりするわね。何十年ぶりだもの」 「ほんとに仲のいい友達だったのなら、どんな時だってきっと大喜び してくれるよ」 としんごちゃん。 「そうね、そのとおりよね」 おばあさんはなんだかとても久しぶりににっこりしました。 いつもの交差点がすぐ下に見えました。 長く伸びたケヤキ君の枝が赤、黄。緑、と代わりばんこに光って 遠くからはしんごちゃんそっくりに見えます。 「ケヤキ君よろしくねー」おばあさんとしんごちゃんが呼びかけると、 枝を軽く振って 「いってらっしゃーい」とこたえてくれました。 ーーーーーーーーー終ーーーーーーーーーーーーーーーー