道化の戯言

ジャスト・あ!・木綿のハンカチーフ/電波男










純次郎(ピュアじろう)















第1話 ジャスト・あ!・木綿のハンカチーフ


夏の昼下がり。空気はあまりの熱気でゆらゆらと揺れているかのようだった。
そんな街角の一角に小さな空き地があった。
そこには五、六人の子供たちがいた。いつもなら野球やらサッカーやらで泥だらけで笑っているはずなのだが、今日は違った。空き地の隅に固まってなにやらヒソヒソと話しているのだ。
よく見るとその隅っこに、子供に取り囲まれた男が座っていた。
その風貌はおよそ“マトモ”とは程遠かった。その男は必要以上に尖った帽子を被っている、それだけじゃない。顔を真っ白に塗りたくり、右の目の周りは黒い塗料で星が、左目尻の下には涙の模様が、そして真っ赤な口紅が耳まで届いていて、挙句の果てには真っ赤な丸い鼻を付けているのだ。……そう、つまり有体に言えば道化のメイク。しかし、顔の下は黒の細身のスーツをビシッと着こなし、足元には便所サンダルを履いていた。
果てしなくデタラメな格好だった。
「なぁ、お前何なの?」
 一人の痩せた子供が当然の疑問をぶつける。その言葉を聞いてそのピエロはニヤっと笑い、
「それなら、お前は自分がなんなのか言えるか?」
 明るい声で言った。
「人間に決まってるじゃん!」
 子供たちは条件反射の如く“馬鹿じゃねぇの”の意味を込め、声をそろえて返す。
「なら、俺も人間だな……、なんてな! まぁ、お前らに張り合ってもしょうがねぇ、ここは俺が大人になってやろう。つまり、お前らは俺が何やってる人が知りたいんだろ? 俺はな……“語り部ピエロ”だよ」
 ピエロは自信満々に胸を張る。
「何だよ? そのカタリベピエロってのは?」
 太った男の子が言う。
「う〜ん。そうだなぁ……、簡単に言えば物語屋さんってとこだな。どうだ? いっちょ聞いてみるか?」
「……どうする?」
 ピエロのその言葉に子供たちは相談を始めた。短い相談を終えた子供たちは聞くことに決めた。理由は“暇だったから”ただそれだけだった。
「おし、じゃぁ、お前ら金持ってるか?」
「はぁ? 子供から金取るのかよ!!」
「当たり前だろ。何かを貰うときは代金が必要だということもそろそろ覚えておいたほうがいいぞ? そうだなぁ……、一人十円でいい」
 少しの間そんな問答は続いたが結局、子供たちは渋々ながらも、安い値段なので払うことにした。
「毎度あり!」
 ヘラヘラとした笑みを浮かべピエロは受け取った数十円をポケットに突っ込み立ち上がった。
「んじゃ、お前らは座れ」
 子供が座ると、ピエロはフッと大きな息を一つ吐き出し、大げさなアクションと抑揚を聞かせた声で話を始めた。

**********

 さぁさぁ、始まりました!! 語り部ピエロの……う〜ん、そうだなぁ、今日はジッとしててもシャツが汗で張り付いちまうくらい暑いから、ホッティちゃんって名前にしよう。え? ダサいって? まぁそう言うな。俺の名前になんてたいした意味はないんだからよ!
 よし、それじゃ気を取り直して……、ウオッホン、アーアー、よし。
さぁ始まりました! 語り部ピエロのホッティのお話だよ!! っと思ったが本題に入るその前に、俺の目的や、なんやかんやを言わなきゃいけないんだ。そんなこと省略してくれって? そりゃ無理だよ。なんてたってこれは“お約束”だからな!
俺の目的はな、まぁ、なんつーか、世界を救いたいだとか、今の世の中を変えたいだとか、そんなたいそうなものではないんだ。だが、しいて言わせてもらうなら、教育は変えたほうがいいと思うな、うん。いやいや、勉強うんぬんのことを言ってるわけじゃないんだ。ただな、大人たちがお前ら子供達を夢いっぱいに育てるのはどーかな? ってことよ。例えば信じて努力すりゃ夢は叶うなんてのは、嘘っぱちなわけだろ? 信じようが、努力しようが、ダメなものはダメだし、努力もなんもしなくてもポロっと夢かなえちまう奴だっている。そう思わないか? そうだろ。そういうもんなんだよ。
それと、子供の頃は夢みて生きろだなんて言うくせに境界線のあやふやな大人になると、夢を追っていることはたちまち悪になるだろ? まあ確かに実現しない夢なんて寝言と一緒だけどな! だからって、希望を持つな、なんて言ってるわけではないんだ。ただな“気をつけろ”ってことだ。まぁ深くは言わないから、後は自分で考えてくれよな。
ここからは俺の“お話”についての説明だ。ほら、よく事実は小説より奇なりなんていうだろ? でもそんなのは嘘だ。
……あ〜、世の中嘘ばっかりだなぁ……。想像できないことは起こるはずがないんだよ。
えっ? アメリカでビルに飛行機が突っ込んだ? おいおい、空を飛んでる飛行機を見てお前は“もしも墜落したらどーしよっかな”なんて考えたことはないのかい? な、あるだろう。ん? 地下鉄に毒ガス? 別に不思議じゃないだろ? 密室に毒ガスなんてのは縄文時代からよくある話よ。なんてな、はは。つまりな、小説にない事実ってのはつまらんのよ。ただそれだけなのよ。
ともあれ、俺は今現在、百八つの話を持っているんだ。まぁ煩悩の数と一緒なのは別に意味のあることじゃない。なんとなくこの数字が好きなだけさ。だから、話が一つ増えたら一つ減るし、その逆もあってわけだ。もしかしたらそれは俺が“物語りを無限に持ってる”ってことと一緒なのかもしれないけど、俺は謙虚だから自分のことをそんな風には決して言えないなぁ。
その物語の中には、手も握れないような純愛の話や、悪魔に魂を売っちまう奴の話。他にも、お婆ちゃんが起こす少年犯罪の話や、夜なんかよりもうんと暗い海の底の話。挙句の果てにゃ宇宙人と鼠が結婚するなんて話まで様々あるからよ!!
今日のはどんなものかって? う〜ん、そうだなあ、今日の話はなぁ、こりゃもう端からみりゃ救いようのない馬鹿な話に聞こえるかもしれないな……。でも、俺は悲しい話だと思うよ。え? どんな話かって? おいおい、野暮なことは聞くんじゃねぇよ。
今から話は始まるんだからよ!!
そう、その日は風の強い日だったんだ。そしてそのまま風の強い夜になった。そのことが一番の原因なんだろうなぁ……。風さえなければ……、いや、そうじゃねぇかぁ。あの男に潔さとか、責任感だとか、そういったものがあればあんなことにはならなかったんだしな。
話の舞台はな、とある地方都市だ。特別都会ってわけでもないし、かといって牛なんかがいるわけでもない極普通の町だ。その町の公団住宅にな、一組の母子家庭が住んでたんだよ。母親はまだ三十歳で、娘は七歳だ。母親の名前は言ったところで意味ないから言わないが娘のほうの名前はちょっと聞いといたほうが良い。“かわしま ちこ”ってんだ。その日はちこちゃんの誕生日でよ、昼間に学校で大好きなかわいらしいキャラクターのハンカチを思いを寄せる男の子からもらったんだよ。ちこちゃんはそれはそれは、たいそう喜んでな。それはもう大切で使うのも気が引けるくらい大事だったわけだ。だけどな、母親は子供の頃の恋心みたいのを忘れてしまっていて、こともあろうにその大事な大事なハンカチにマジックで名前を書いちまったんだ。しっかりと消えないように“1ねん2くみ かわしまちこ”って大きめな字でな。それはもちろん悪気があったわけではない。その娘がよく物を無くす娘だったので無くさないようにと書いただけなんだよ。そう、ただそれだけだったんだ。でも名前の書かれたハンカチを見たちこちゃんは相当悲しんで怒ったよ。そりゃ怒るだろ? しょうがないよな。泣きながらハンカチをジャブジャブ洗ったんだ。でも落ちるわけない。なにせ油性なんだからな。
しばらくするとな、ちこちゃんは泣きつかれて眠ってしまったのよ。母親はね、ちょっと反省したんだ。悪いことしたなぁ、ごめんね、ちこってね。だからなるべく字が目立たないようになるまでハンカチを洗ってさ、ベランダに干して、乾いたらまた洗ってみようなんて考えてたんだよ……それでな……、え? 話の主人公はどっちかって? いや、どちらでもないんだなこれが。そういやまだ出てきてなかったな。忘れてたよ。
この話の主人公は高槻浩太っていう奴でな、歳は二十一歳。冴えない野郎なんだよ、これがまた。どんくらい冴えないかっていうとな、とりあえず、今まで恋人なんていたことはなかったし、現在友達ってのも一人もいないんだ。まぁ、さすがに知り合い位はいるけどな。顔はそうだなぁ……、バッタに似てるな。まぁチヤホヤされないことは間違いないわけよ。でも、自分がそんなに冴えないということにはあまり気付いていないんだ。まぁ、それが、いいことか悪いことかは俺にはわからないさ。
――ただ、そうやって経験がなかったり、人付き合いが苦手なところを、自分の純粋さのせいだと思っていたんだ。そこんところは間違いなく悪だろうな。だって、友達がいないってのは無知でわがままで、独りよがりな証拠に決まってるだろ?
高槻はな、今フリーターで、レンタルビデオ店でバイトしてるんだ。そう、その夜もバイトしてたのさ。その店内はこじんまりとしていて、最近近くに出来た大型チェーン店の煽りを受けて客足は最近めっきり減ってしまっていて、ものすごい暇な店なんだ。だから高槻は大概レジの上に設置されているテレビに自分の好きなビデオを流してそれを眺めるばっかりなんだよ。楽なバイトだよな。
流しているビデオはな、決まって高槻がはまっている戦争映画なんだ。それもこれでもかってくらいくだらない映画でな、シリーズ物なんだけど、知ってるか? “ガンホー”シリーズってのを? ……だろうな。普通知らねぇよ。マニアックな映画だしな。でも、マニアックな映画ってのは変にファンが出来たりするもんでな。ガンホーもXまで出てるんだ。でも内容は全部一緒。力自慢のガンホーが捕まって脱出したり、金髪のエロいおねぇちゃんを助けに行ったり、しかも、何百人からの軍隊相手に、毎回ナイフ一本で戦うのよ。そのとき高槻が流していたビデオは“ガンホーU”でな。場面は親友を殺した敵の将軍を倒すために相手の基地でドンチャン騒ぎしてるところだ。俺なんかが見たら笑いが止まんないんだけどな、高槻は恍惚の表情で見てやがんの。え? 恍惚の意味がわかんないって? 俺も良くわかんねぇから、そういうことは聞くなよ。ともかくぽ〜っと見てやがったんだ。だから珍しくいた客がレジに来てんのも気付かないでやんの。
「すいません!」
 こんな風に強く言われてすげービクッとなってさ。ほんと情けない奴なんだ。
「はい、すいません」
 小さな声でそう言って、心の中で“ふざけんな、おどかしやがって”なんて思うんだこいつは。
 バイトは夜八時に終わってな、高槻はそのまま買い物に出かけたんだ。行った場所はね、“WWV”なんていう名の店で、名前を聞いて何売ってるか大体わかるだろうけど、一応言わなきゃな。そう、正解! ミリタリーグッズ、つまり軍用品やそのレプリカなんかがたくさん売っているとこなんだ。買いに行ったものはガンホーのナイフのレプリカ。正確に言えば、“ガンホーW鉄拳制裁ブルース”使用、ガンホーナイフダブルエッジ。結構本格的なものだからもちろん安くはなくて、数万円はするのよ。それでも、高槻は今日買うって決めててな、昼間のうちに貯金おろして、バイト帰りにWWVに行こうと決めていたんだ。すたすたと歩いていってよ、周りには若い奴らが買いに行くような洋服屋だとか、おしゃれなカフェなんてのもあるんだが見向きもしないわけよ。真〜っ直ぐWWVに入ったんだ。もちろん店内にもいろんな商品があるんだけど、やっぱり目もくれないで、目的のナイフをすぐにレジに持っていきやがった。代金払って商品の入った紙袋受け取るときなんてちょっとニヤニヤしてやがんだ。……こりゃモテねぇわけだよなぁ。
 店を出た高槻はすぐさま袋を開けて手に持とうとか考えたんだがよ、周りに人がたくさんいるんでそれは止めたんだ。だけど、家までは我慢しきれない、どうしようか、こんなことを真剣に悩んだんだ。ほんと馬鹿な男だよ。もう二十一なのによ。頭をひねったこの馬鹿は近くに滅多に人の来ない公園があったのを思い出したのよ。そこに向かおう、そう思ったんだ。高槻はいそいそと公園に向かったよ。まったく、よせばいいのになぁ……。なんでよせばいいのかって? お前そりゃ今は言えないよ。言えるわけないだろ? なんでかわかるよな? おう。わかりゃいいんだ、黙って聞いてな!
 高槻は裏道に入ってその公園を目指したんだ。道に人気がなくなっていくと歩く速度がどんどんあがってったんだ。それも無意識にだよ。今まで馬鹿だ馬鹿だ言ってたけど、なんだかちょっとかわいそうになってくるだろ? 原因は自分にあるとはいえ、友達の一人もいなくて、わけわかんねぇナイフ一本でここまで熱くなっちまうなんてなぁ、はぁ〜、せつねえなぁ……。しかも、こっからさらにこいつはせつねぇんだ。公園のベンチに座るとすぐさまナイフを手にとって、公園の明かりに照らしたりしてニコニコしてやがんだ。
「へへ、かっこいいなぁ。へへへ」
 挙句こんな独り言まで言いやがった。心底なさけねぇ。もしも誰かが見てたとしたらまじりっけなしの変質者に見えるだろうが、ほら、やっぱり人は千差万別だからな。このくらいはまぁしょうがねぇっちゃしょうがねぇ。許してやらないわけでもない、……でも、次の行動はさすがになぁ。
 あっ、そういえば、ちこちゃんの話が途中だったよな? 危ない危ない、忘れるとこだったよ。母親がベランダにそのハンカチを干したとこまで話したんだよな? そう、それでな、風の強い夜だって言っただろ? だから洗濯バサミで上の角と角を挟んで干したそのハンカチがバタバタと風ではためいててな、まず片方外れちまうのよ。そしたらよ、さらに風に煽られるようになるわけよ。かろうじて掴んでる片方の対角線の先端は右へ左へそりゃもうバッサバッサなびくんだ。母親は、ちょうど居間でテレビを見てたんだけど、さすがに風が強くて、娘のハンカチが飛ばされないかと心配になって、部屋から覗いたんだ。案の定、洗濯バサミは片方外れてて慌てて窓開けてハンカチ取ろうとしたんだ……、だが、そこに、ピュウ〜っと強い風が吹いちまった。母親の手はあと三センチもないくらい近づいたんだけど、……おしい。
届かなかったのよ。ハンカチはヒラヒラと風に揺れながら、時には強い風に煽られて急に進路を変えられたりして長い旅に出ちまったってわけだ。
 それでな、その団地はな、ちょうど高槻のいる公園の裏にあったんだ。高槻はそのころ何していたと思う? ナイフを舐めるように眺めたその後な、公園に人がいないのを確認して、一人で始めやがったのよ。何をかって? あぁ、悲しいやら、情けないやら……。
“ガンホーごっこ”始めやがった。
しかも一人でだぞ? はぁ……、それも喜々揚々とだ。
 ナイフを一人で振り回しながら、
「あいつの仇だ! 負けねぇぞ!!」
 なんて敵兵に啖呵きりやがった。もちろん誰もいねぇのによ。さらに高槻の頭の中では物語が進んでよ。バッタバッタと銃やらバズーカやら持った敵兵を倒しまくるのよ。滑り台から滑り降りたり、ジャングルジムに登ったり公園中を使ってナイフを振り回しまくるんだ。その表情はニヤニヤとしてたり、ヘラヘラと笑ったり、時にはガンホーみたく真顔になったりして、そりゃもう楽しそうなもんよ。まったく馬鹿だよな……。こんなことしてないで家帰って寝てりゃ良かったんだ。
 まぁ、そんなこんなで高槻は一人っきりで小一時間ガンホーごっこをしてたのよ。高槻はもちろん知る由もないんだけど、そんなことやってる空にはちこちゃんのハンカチがヒラヒラ舞ってたんだ。
 高槻はさすがにちょっと疲れてもう帰ろうかと思って、動きを止めたんだ。一時間もはしゃぎっぱなしだったからな。その時だ、ヒラヒラと舞っていたハンカチがガバッと高槻の顔を覆ったのよ。一瞬焦ったんだけどな、すぐに気を取り直して、
「誰だ! 汚い真似しやがって……、ふっ、だがなぁ、俺にこんなものは通じないぜ!」
 ハンカチを利用してガンホーごっこの続きを始めやがった。ガンホーVでな、目隠しされたガンホーがそのまま敵の基地を逃げ出すシーンがあったんだよ。もちろんナイフ一本でな! そんなことを思い出しながら、高槻は敵兵と戦ったのよ。今回の相手はドリジャナ共和国の特殊陸軍だ。
「あぁ、確かに見えないけどな、俺は感じるんだよ……」
 顔に覆ってあるハンカチを落とさないように動きながらガンホーVのセリフを言いやがった。はぁ〜、まったく……。
「そこにももう一人ぃ!」
 さっと身を交わし、ナイフで一突き、……あほだよなぁ?
「お前で最後だ!」
 強くナイフを手前の空に突き刺した……はずだった。
その時なぁ、高槻の手にナイフ越しに嫌〜な感触が伝わってきたんだよ。豆腐を刺してしまったような、グニュルってな感触だ。あれ? おかしいな、高槻はそう思って、動きを止めたんだ。そうすると必然的にハンカチはファサっと下へ落ちるわな、まぁ、なんとなくでそのハンカチを手に取ったんだ。そんで前を見たらよ、OL風の女がいたのよ。髪の長い結構綺麗な感じな女だ。高槻のタイプの顔だった。それでもやっぱ今気になるのは自分の手元だ。あの感触の正体だ。それで視線を下に向けると、……最悪だ。その女の腹からめちゃめちゃ血が出てやがんの。しかも、ガンホーレプリカのアーミーナイフが刺さってやがる。言うまでもなく高槻が刺したものだ。
「へ?」
 第一リアクションはこんなものだった。
「ううあ、あぁ……」
 これはその女の声だ。言葉になっちゃいなかったがな。
「あの、大丈夫ですか?」
 高槻の第二声はこれだよ。間抜けな奴だホントに。自分で刺しといてなんだ、この言い草は。
「ううう、うぅぅ」
 呻き声と共に高槻に寄り掛かるようにしてその女は倒れてきたんだ。その瞬間に高槻の表情が変わったよ。気付いたんだろうな、大変なことをしてしまったってことによ。恐ろしくなっちまったんだろうな。ナイフから手を離し咄嗟にその倒れてくる女をかわしたんだよ。そしたら、当然のようにその女は腹ばいに倒れるわけだ。それが“トドメ”になったのよ。地面に押し返される力によって、ガンホーナイフはさらにその女の腹の奥の奥へと突き刺さっちまったって寸法よ。なんでも、その女は痩せていて、ガンホーナイフの切っ先が背中からちょびっと突き出たとか出なかったとか……、ともかくその女はピクリとも動かなくなったし、呻き声も全く上げなくなったんだ。
 そんな様子を高槻はただ見ていたんだ。
そして腰を抜かした。
高槻は尻餅ついて考えるんだ。
“……俺のせいじゃない、この女が勝手に……”
 てな具合にな。情けない野郎だな、人のせいにするのが癖になっちまってやがる。
“だって、俺はただ一人でガンホーを真似てはしゃいでただけだ、悪気があったわけではない……”
 悪気がなきゃいいと思ってやがる。……人を殺したってのにな、はは。
“だって、俺は意外に優しい男だ、こんなことするはずがないじゃないか……”
 優しい男じゃない。気の弱いってだけの男だよ。
“あ、そうだ、俺のガンホーナイフ……”
 混乱してやがったんだろうな、その女を仰向けにさせてナイフを引き抜きやがった。そしたら血が噴き出したんだ。相当焦っただろうな。なんせ手や服に血がべっとり付きやがんだ。それもその血は生暖かいんだ。
「きゃーーーーーー!!」
 悲鳴だ。え? 違うよ。さすがに高槻が情けない男だからってこんな悲鳴は上げない。公園ってのはちっちゃいとこでも意外にカップルなんかが来るもんなんだ。そのたまたま来ていたカップルに見られたのよ。悲鳴を上げたのはそのカップルの女だ。
“え?”
 そりゃ悲鳴のほうに振り向くわな。もちろんそのカップルと目が合った。
“なんでそんな目で俺を見るんだ?”
ものすごい目つきで自分を見ているカップルに高槻は違和感を覚えた。
「ひ、ひ、人殺し……」
 彼女が言ったその言葉で高槻は自分の現在の姿に気付いたんだ。
「ち、違うんです。俺じゃないんです……」
 高槻は慌てて弁解したけど、手には血の付いたごっついナイフ持ってるわ、着ている服には返り血を浴びてるわなんだ。カップルは高槻の言葉なんか信じるわけはない。しかも、実際高槻がやったんだしな。
「人殺し〜〜!!」
 こう叫ぶのが当たり前だ。
「違う、違うんだ!」
 高槻は歩み寄ったのよ。
「きゃ〜! 来ないでぇ……」
 彼女はまたも叫ぶ。すると彼氏が彼女を庇うように高槻と彼女の間に立ったんだ。ちょっと震えながらな。勇気のある男なんだよ、たけし君は。あ、こいつの名前なんて俺は知らないから、たけし君ってのは今俺が付けたんだけどな。いい名前だろ? はは。
「彼女に近づくな!」
 かっこいいたけし君、震えた声で言いました。
「あ、だから、俺じゃなくて、ち、違うんです……、だってガンホーの……」
 一方格好悪い高槻君は、しどろもどろ。挙句の果てにはそこから走って逃げ出しました。
 ――必死に逃げたんだ。
 暫くすると大通りに出てきたよ。そこも必死に走るが周りの人たちが自分を見ている気がするんだ。
“みんなが僕を見ている……、見ないでくれ……”
これだけ聞くと自意識過剰な女子中学生、しかも二年生みたいだけど、実際見られてたんだ。だってそりゃそうよ、さっきも言ったが、血だらけの格好で手にはナイフだ。その視線達に気付いた高槻はさらに慌てて人通りの少ない裏道へと入っていったよ。そこでポツリと言ったんだ。
「はぁはぁ、いったいなんなんだ? 俺がいったい何したんだ? なんでこんな目に?」
 人を殺したからさ! だけど高槻の言っているのはそういう意味ではないな、なんで自分が人を殺してしまうような目に合わなければならないのだ? そういう意味だ。それに関しては確かに高槻の言うとおり、なぜかはわからない。偶然に偶然が偶然に重なった結果、しいて言えば、高槻がくだらない男だったから。
だけど、そんなことまで責めるのはさすがに酷ってもんだ。それでもなぁ、ことはもうすでに起こってしまっている。そんなことをいくら考えてもナンセンスよ。だってそうだろ? 例えば生まれた家のせいで不幸になった人間がいたとして、その人間がいくらその家を恨もうと何も解決しない。きっとそこからハッピーを掴むために何をするかが重要なんだ! なんか俺たけし君ばりにかっこいいなぁ……。
 あ、悪い、話が脱線してしまったな。話を戻そう。
そう、さらに高槻は逃げた。別に誰かに追われてるわけではなかったんだが、やはり逃げたんだ。どこかに誰もいないところがないだろうか? 走り回ったさ。必死に走り回って見つけたのは川原だ。そこは背の高い草が生い茂っててよ。暗いし、どこかおっかない場所なんだ。夜に誰かが来るなんてこと決してない。気の利かない高槻にしちゃナイス判断だったかもな。そこに走りこんだ。その生い茂った草の中に身を潜めよう。そう考えて走ったんだ。
ガツッ、鈍い音がしたんだ。そのすぐ後に高槻の右膝に激痛が走った。
 慌てていたから、川原に行く途中のテトラポットに右膝をしこたま打ちつけてしまったようだ。だけど止まるわけには行かない。高槻は足を引きずりながらも、なんとか草の中に逃げ込むことに成功した。
「はぁはぁ……、ふぅ〜」
そこで一息付くとな、こいつも少しだけ冷静になれたよ。でもね冷静になったことによって体がガタガタと震えだしてきたんだ。何を思って震えているかって? そりゃ、
“なんてことをしてしまったんだ、罪のない人の人生を踏みにじってしまった。償わなければ……”
 なんてこと……、ではないんだな、残念ながら。
“あぁ、なんて俺は運が悪いんだ、俺は何も悪いことしてないのに、俺はこれからどうなってしまうんだ? 刑務所に入るのか? 嫌だよ……”
 まぁ、こんなことを思ったのよ。お前らも今までの話聞いてりゃこんなこったろうとは薄々感づいたろ?
“あぁ、俺の人生はこんなことで終わってしまうのか、俺は何も悪くないのに……”
 確かにこんなふうに思う気持ちもわかるけどよ……、それでもやっぱ人殺しには変わりないんだよ。同情はできるが、それでもなぁ……。だってよ、誰しもに、大なり小なりこんなことは起こるんだよ。自分に責任のない不幸がな。それでもやっぱり、それを嘆くだけじゃ何にもならないだろ? まぁ。確かにこの場合はちょっと大きすぎるってのは認めるけどよ。
 高槻はその場から微塵も動かずに頭をぐるぐるとさせてたんだ。夜が明けるのも気付かずにな。まったく、ひでー顔してやがる、目の下にはクマができてるし、精神的なものからかしらないが、頬もこけているように見えるな。カササっと後ろで草が動く音がしたんだ。ビクッとして振り返ると、そこには小さなトカゲが一匹。ほっと胸を撫で下したそのときにようやく朝になっていることに気付いたんだ。
“あぁ、朝になってしまっている……、どうしよう、どうすればいいんだよ……”
拳を握り締め俯いた。あれ? 自分の手に持っているものに気付いたんだ。それは右手のガンホーナイフじゃなく、……左手のハンカチだ。
 かわいらしいキャラクターが書いてあるそのハンカチを見るとなにやら怒りがこみ上げてきたんだ。
“このハンカチさえなけりゃ……”
 焼き尽くすかのような目でそのハンカチをじっくり見て、裏返してみたんだ。そこには薄くなった字でこう書いてあった。なんて書いてあるのかはわかるよな? よし、んじゃ、せいの、で言うぞ! せいの!!
「1ねん2くみ かわしまちこ!!」
 おいおい、ノリ悪いな、俺一人に言わせやがってよ。まぁ、いいや、ともかくその名前を見つけたわけよ。
「こいつのせいで……」
 思わず思ったことが口から出るほどの激しい感情だったんだろうな。高槻はその言葉のあとで立ち上がったんだ。目つきが酷く悪くなってやがった。そして、右足をズルズルと引きずりながらゆっくり歩き出したんだ。
 ここまでは同情できたんだがな……、こっからはおよそ同情できるような話ではないんだ。
 高槻はどこに向かったと思う? 
警察? 違うなぁ。
自宅? 違うんだ。
かわしまちこちゃんの家? おしいけどそうじゃないんだ。でも、もしも、ハンカチに住所が書いてあったらそこに行ってたかもしれないなぁ。
 高槻はな、ニ時間後に近所にある小学校の校門の前に立っていたんだ。目つきはさらに悪くなってるし、寝てねぇもんだから、目の下のクマもさらに酷くなってやがる。異常者そのものだよ。
「……かわしまちこ〜…」
 高槻はまるで呪うような口ぶりで言いやがった。……まぁ、実際呪ってたんだろうな。

 それかたさらに一時間が経ったときには、その小学校の周りには、パトカーやら、救急車やら野次馬やらがわんさか集まってたよ。死亡者は病院で死んだのも含めると十二名、全治一ヶ月以上の重傷者は五名、軽傷者はもう数え切れないくらいだ。え? ちこちゃんも殺されたかって? ちこちゃんはねぇ、今日はハンカチが無くなっていたことにグズッて学校には行ってなかったのよ。でもな、こんな事件が起きたおかげで、
「あのハンカチが飛ばされちゃったおかげで助かったのよ。きっと殺された順君がくれたハンカチが守ってくれたの」
 なんて親子は仲直りよ。
 あ、そうそう、大事なこと言ってなかったな。お前らも気にはなってたとは思うが、公園で高槻を見たカップルな。あの二人は五年後に結婚したらしいよ。え? 関係ないって? そうだな、関係ないな、はははは。
 あぁ、高槻が気になるってか? 
……あいつは今でも逃げてるってよ。だからお前ら、もしも、足引きずりながら、ガンホーナイフ持っている奴に出くわしたら気をつけろよ? そいつはもはや世界を呪ってるからよ……、なんてな。
とにかくこれで話は終わりだ。楽しかっただろう?

*********

「……楽しかったろう?」
 ピエロはそう言うと舞台上から観客に挨拶するように仰々しく一礼をした。
「つまんねぇ話!」
 太った男の子が言った。周りの子供たちも口をそろえてそんなことを言っている。
「おいおい、そりゃ酷いな。まぁ、代金分のお話をしたから俺は行くな!! じゃぁなクソガキ共!!」
「うるせえ、金返せ! この変質者ピエロ!!」
 痩せた男の子が言う。
「はは、かっこいいネーミングありがとう!! 努力して幸せになることをお勧めするぜ!」
 ピエロは子供たちをかき分けゆっくりとその場から去っていった。
 その背中を見ながら痩せた男の子が言う。
「……あのピエロ、足引きずってるよ?」
「じゃぁ、あいつが? 高槻なのかな?」
 太った男の子がポツリと言う。子供たちは一人を除いて皆一様に少し恐ろしくなった。その一人だけ恐ろしくなっていなかったポロシャツの男の子が皆に声を掛けた。
「なぁ、俺違うと思うよ?」
「なんで?」
 かわいらしい女の子が聞く。
「俺ここに来る前にあのピエロ見たんだ。そのときあいつ、蕎麦屋で食い逃げしてるところで、ものすごい速さで走ってたもん」
 子供同士目を合わせる。
「――あっ!」
 かわいらしい女の子が大きな声を上げピエロを指差した。子供たちは皆、その指差す方向、つまりピエロの方に振り向くとピエロは軽快なスキップで先へと進んでいた。
「くっだらねぇなぁ……」
 それを見た子供たちは口々にそう言って、三十分もするとサッカーをしながらいつものように泥だらけで遊んでいた。



ジャスト・あ!・木綿のハンカチーフ  終

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