風に吹かれて消えちまう



第一章 再初対面



 美樹は校内に入り、少し歩き、人気のない職員室の中に入った。正確に言えば、校内に入らされ、少し歩かされ、人気のない職員室の中に引きずられるようにして入らされたわけだが。職員室の中に並んでいる一つの机の前まで引きずられるとようやく、その教師の手が美樹の腕から放れた。パリッとした制服が掴まれていた部分だけしわくちゃになってしまっていて、それがその教師の掴んでいた強さと時間とをよく表していた。それだけの長い間、ずっと小言をブツブツと言われ続けていたとも言える。正直、美樹はもう、うんざりしていた。だけど、何を言われても、はいはい、とすまなそうな顔で頷いておいた。
ジャージ革靴教師が席に着くと、その場で他の生徒が入学式で貰っているプリントやらなにやらを手渡された。その中に入っていたクラス表で美樹はようやく自分のクラスが一年三組だということを知ることが出来た。ジャージ革靴教師はまだ何か文句を言いたそうだったが、それを察した美樹は「ありがとうございました」と深々と頭を下げ、足早に職員室を出て教室を目指した。一度も振り返ることはなかった。
 プリントの束の中にあった“校内地図”を頼りに階段を登り、三階までたどり着いた。そして、一年三組を目指し廊下を歩く。当然、廊下には美樹の他に誰一人いない。やけに広くそして長く感じる。各々の教室から話し声がもれ聞こえてはくるがそこは静かなもので、自分の足音が耳につき気分が少しだけ重くなる。
 ……せめて入学式の途中には来るんだったかな? そんなことを頭にめぐらせながら。やっとこ一年三組書かれたプレートの掛かっている教室の目の前に辿り着いた。ドアの小さな覗き窓から教室の様子を伺う。ちょっと年のいった担任教師であろうふくよかな女性が黒板の前に立ちなにやら話しているのが確認出来た。少し視線をずらしてみる。すると、これから一緒に一年間、勉強や学校行事、そして恋なんかもしていくであろう一年三組の面々がその担任教師の話を配られたプリントと照らし合わせながら、静かに聞いていた。美樹にとってはあまり気分の良い光景ではない。なんせこの静かな教室にガラガラと音を立てて入っていかなければならないのだ。
 やっぱりちょっとタイミング悪かったか……? しかも、初日に遅刻かぁ、変に目立っちまうんだろうな……。帰ろうかな。そして明日改めてちょっと風邪気味な感じで登校しようかな。ギプスを足に付けてくるのもありかもしれない。いや、もうこうなったら点滴でも引きずりながら登校しようか。なんて脱線ぎみに色々と考えてみたが、先ほどのジャージ革靴教師に名前を聞かれていたことを思い出し“まぁ、なんとかなるだろう、ちょっとドジでおっちょこちょいな男の子として皆が笑顔で受け入れてくれるに決まっている”と無理矢理ポジティブな思考に持っていき、扉に手をかけた。なるべく音が鳴らないようにと細心の注意を払いそれはそれは慎重に扉を開けた。……扉の下のレールは錆びていた。ガラガラという音どころか“ギィ〜〜”なんて鳥肌が立つような嫌な音が教室中にこだました。その音に顔をしかめた担任教師と目が合った。逸らした。するとクラスの面々と目が合う。逸らした。またもや担任教師と目が合ってしまう。今度はさすがに逸らせない。教室中が自分に注目しているということをひしひしと感じる。しかも教師も含め皆沈黙している。
「――あの、すいませんちょっと電車に乗り遅れてしまって……」
「……はい、お名前は?」
担任教師は無言で出席簿をペラペラと捲りだした。先ほどの、おっちょこちょいな男の子として〜〜、なんてほのかな期待はもろくも崩れ去った。それほど担任教師の言葉は冷たく、ピリピリしているとも受け取れるような響きを孕んでいた。
「……武藤美樹っす」
 思わず小さな声で答えてしまう。
「武藤君ね、んじゃ、キミはあの窓際の席だから早く席に着いてちょうだい」
「あ、はい」
 そう言って指差された自分の席に向かおうと思ったが、このままでは担任の心象が悪くなってしまうのではないか? と考え少しだけ弁解してみることにした。
「――いや、違うんですよ。あの、なんていうか、お婆さんが困っていて、それで俺も一緒になって困ってしまって――」
「いいから早く席に着きなさい」
 ……逆効果だった。
「あ、すいません」
 美樹はクラスメイトの視線を浴びながら所在なさげに自分の席に着いた。窓際の後ろから二番目の席。席に着くやいなや担任教師は話の続きを始めた。途中から話を聞いてもいまいち良くわからなかった美樹は周りをキョロキョロと見渡した。知っている人間は見当たらなかった。皆の様子を伺ってみると一様に少し緊張しているようだった。なにしろ皆真剣に教師の話なんかを聞いているくらいだ。俺だけなんか馬鹿みたいだなぁ……。美樹は遅刻して変に目立ってしまったことを少し後悔した。
「はぁ〜」
 小さな声でため息をつき腕をつっかえ棒にして顔を横に向ける。ふと、隣の席の女の子が視界に入った。長い真っ黒な髪の毛。白い肌。その表情は明らかに周りのものとは違っていた。かもし出す雰囲気も周りとは異なっている。クラスの奴らは皆、緊張し、尚且つ新しい学校に期待しているようなそんな初々しい表情で真剣に話を聞いているのに対し、その娘だけは“つまんないなぁ、退屈だなぁ”とでもいうような“ココロここにあらず”な顔でぼーっと視線を泳がせていた。
 美樹は思わずその娘に見入ってしまった。いや、その周りと違う雰囲気に目を奪われたというわけではない。もちろん可愛いから、とか、タイプだからというわけでもない。……どこか見覚えのあるような顔だったのだ。しかし、思い出せない。暫くジッと見るが、やはりいくら見ても美樹は一向に思い出すことが出来なかった。
 確かにどこかで見たことのあるような……、でもわかんないなぁ。一向に思い出せない美樹は“ま、いいか、やっぱ知らないんだろうな”と思い、視線を外そうとした。しかし、その時、その娘が美樹の視線に感づいたのか美樹の方を見てきた。一瞬目が合った。美樹は思わず目を逸らした。あぁ、どうしても人と目が合うと逸らしてしまうなぁ。そんなことより俺の視線を勘違いされていないだろうか? 気があるだとか、好きだとか、愛だとか恋だとか……。いや、それならまだいい。最悪、胸を見てたとか、うなじを見てたとか、エロだとか、変態だとか思われたらどうしよう。気まずい……、これは気まずい。だからと言ってもう一度向き直り「別に俺はそういったいやらしい目で君を見ていたわけではないよ」なんて言ったところで状況は改善するどころか、ものすごい加速をつけ悪化してしまうだろう。さてどうしたものか……、と美樹が脳内で年頃の男の子的な独り相撲を取っていると、
「ねぇ」
その娘が美樹に声を掛けてきた。不自然なほどの速さで美樹は向き直った。
「――な、なに?」
 どもってしまいはしたが、できるだけ自然な表情で答えた。しかし、何見てんのよ! だとか、どこ見てんのよ! なんて言われるかと、内心は冷や冷やしている。
「子供の頃、うん、小学校の低学年とか、それ以前の記憶ってさ、ほとんど残ってないよね?」
「……はぁ?」 
意味がわからない。しかし、その娘は美樹の目をしっかりと見つめている。美樹に話しかけているのは間違いなさそうだった。
「えっと、何の話かな?」
「きっとさ、色んな所に連れてってもらったりしたはずなのに全くといっていいほど覚えてなくない? ほら、例えば小さい自分が写っている動物園での写真とか覚えてないでしょ?」
 突拍子のなさすぎる話だった。だけど明らかに自分に向けられている言葉を無視するわけにもいかない。
「え? あ……、まぁ、言われてみたらそうかも、で、これはいったい何の話なの?」
 美樹の困惑を知ってか知らずか、その娘は話を続ける。
「でもさ、きっとそんな全く覚えてない時の記憶で、私たちの性格ってある程度は決まっちゃうのよね。それって不思議じゃない?」
 その目は相変わらず美樹の目を捕らえている。
「……うん、まぁ……、そうだな」
「つまりさ、“記憶にない記憶”ってものもあるって話、そして、それが私たちを捉えて放さないって話よ。ここまではね」
 美樹は容量を全く得ないこの話に未だ困惑している。
「ふうん、そっか……」
 そのため、こんな風にしか返せなかった。
「だからね、今の自分が嫌いで、根底からから変わりたいとするじゃない? そんな時は記憶にない記憶を克服しなければならないの、でもね、それは忘れているんじゃなくて記憶にないのだから絶対に無理なの。結局、今の大嫌いな自分は一生引きずらなければいけないのよ。ううん、一生は言いすぎかな? それでも、二度と思い出すことがないくらい、今の自分が記憶になくなるまでは引きずらなければならないの、ふふふ」
 その娘は唇の両端を均等に持ち上げた。つまり笑ったのだ。しかし、その笑顔は心から笑っているものでは決してなく、“笑っていない笑顔”という矛盾したフレーズが美樹の頭によぎった。美樹はその“笑っていない笑顔”を、少し気味が悪いな、と感じた。だからといってそれを顔に出したり、発言を無視したりするのも気が引けたため、話の内容は相変わらずわからなかったが、とりあえずこの奇妙な話に合わせることにした。
「そうかな? 変わりたいって思った時点でもう変わってるんじゃないかな? だって変わりたいって意思があるわけだし、今までとはもう違うだろ?」
「ふふふ、変わりたい自分がいるってことは変わってない自分がいるってことを暗に示してるとは思わない?」
「あ……」
 確かにそうかもしれない。いや、でも……。美樹がさらに反論を試みようと思ったがその娘のほうが先に言葉を発した。
「まぁ、いいわ。百歩譲ってそうだとしましょ。それじゃあね、その変わりたい自分はいつ変わるっていうの? きっと変わりたい自分を忘れてしまわない限り一生変わりたい自分止まりではないかしら?」
 今時、珍しい位の女言葉だということに気付いた。
「……なんか、見も蓋もない話だな」
「そう、見も蓋も初めからないの。だから忘れられなきゃダメなのよ。その上ね、忘れたいことは、忘れたいって思っている限り忘れられないの、ふふふ。だから、私たちはね、変わってしまった自分に後で気付くことしか出来ないのよ、ふふふ」
 その娘は相変わらずの“笑っていない笑顔”を浮かべながら後ろ向きのような、後ろ向きでも前向きでもないような言葉をすらすらと語っている。その話の内容には妙に納得できるところはあったが、どこかが納得がいかなかった。そう、美樹はどちらかというと“良い子”の部類に入るため、希望のない話しぶりが納得いなかったのだ。
「確かにキミが言ってることはわかるような気がするけどさ、なんかそんな風に思いたくないな。だって人は成長するだろ?」
 だからこういった反論をしたのだ。
「成長と変化は全く別物よ。朝顔の種を土に植えて一生懸命育てたって絶対に向日葵の花を付けることなんて有り得ないでしょ? おたまじゃくしに手や足が生えても髭や髪の毛は生える事はないでしょ? おたまじゃくしがそれを望んだって無理よ。ふふふ」
 しかし、その反論もすぐに打ち破られた。不覚にも美樹は“確かに”と思ってしまった。だからと言って、さすがに初対面の女の子に言い負かされるのは“男の子”の美樹にしたら気持ちのいいものだとは言えるはずはなかった。このまま認めるわけにはいかない。しかし、またもや美樹が声を出すよりも先にその娘の声のほうが早かった。
「でも、いいわねぇ。まっすぐ十五歳になれたんだね、羨ましいわ。みーちゃん?」
 その娘は例の笑顔を浮かべ極自然にそう言ったが、それとは対照的に美樹は目を白黒させて驚いた。
「――みーちゃん? なんでその呼び方知ってんだよ?」
 “みーちゃん”とは美樹の小さい頃のあだ名だった。小学校の高学年になる頃には美樹はそんな呼ばれ方がやはり女みたいでどうしても嫌になり何ヶ月も掛けてみんなにその呼び方を止めさせた。それは徹底していて、母親にもそうさせたくらいだった。
「ふふふ、さぁ、なんででしょうねぇ?」
「いや、俺もさ、なんか見覚えあると思ってたんだけど、やっぱり俺たちって会ったことあるわけ?」
 美樹がそう食いついていると、
「武藤君、静かにしなさい!」
 思わず体がビクついてしまった。担任に注意されたのだ。美樹が担任に注意されると周りのみんなはクスクスと笑いながらチラチラと美樹のほうを見てくる。遅刻してきて、すぐにこの注意。この時点で美樹のこのクラスに置けるポジションが決まった。お調子者、それだった。

 それから一時間程ホームルームは続いた。美樹は担任の隙を見てはなんで自分の事を知っているのかをその娘に聞いたが、その娘はただただ“ふふふ”と笑うばかりで一向に答えてくれはしなかった。
ホームルームが終わると、美樹が「なんで知ってるの?」とまだ尋ねているのにも拘らず、その娘はさっさとカバンを持って、教室から出て行ってしまった。その後姿でその娘が上履きを履いてないことに気付いた。美樹はポツンと取り残されてしまったような、置いてけぼりにされたような、そんな気分になり暫し呆けていた。
「――おい、武藤だよな?」
 後ろから声をかけられた。振り返るとそこには小柄だが、がっちりとした体格の男が立っていた。
「お、村上? お前もこのクラスだったんだ、気付かなかったよ」
「へへ、俺はお前が桜の下で教師にとっ捕まってるとこ見てたけどな」
 声を掛けてきたのは村上敬という男。村上とは中学のとき通っていた塾で一緒だったので顔見知りだった。美樹は村上が嫌いだった。なんというか、デリカシーがないとでも言えばいいのか、いつでもくだらないことばっかり言っていた奴で、例えば、苛められっ子をどんな風に苛めていたか、なんてとてつもなくくだらない話を嬉々として話すようなそんな奴で、ともかく美樹はこいつが嫌いだった。そしてどうやら村上は美樹の真後ろの席のようだ。それが美樹の気持ちを小学生用のプールくらいの深さに沈めた。
「それよりよ、お前桜井と何話してたんだよ?」
「桜井って誰よ?」
「隣りの女だよ」
「あ、桜井って言うんだ」
 ……桜井? 桜井…桜井……桜井? 聞いたことあるような……。美樹が思い出しそうになるとそれを打ち消すように村上が話し掛けてきた。
「んで何話してたのよ?」
 美樹は“なにか思い出しそうになったのに……、この野郎! 黙ってろ!”とか思ったが、まぁ、こいつがそんなこと知る由もないだろうから、しょうがないな、と気持ちを切り替え、椅子ごと向き直り村上と話すことにした。
「何話してたって言われてもな……、別にたいしたこと話てねぇんじゃん?」
「なんだそれ? なんで疑問系なんだよ?」
「いや、向こうがなんか話しっぱなしだったからさ」
「ふ〜ん、あいつ変なこと言ってたろ?」
 ニヤニヤと言ってきた。
「ん? ……まぁ、変っていや変だな、言ってること自体はマトモっぽかったけど」
 “記憶にない記憶”そんなフレーズを思い出した。
「だろ? 変だろ? あいつ変だろ? あのな、あいつとあんま関わんない方がいいぜ?」
「え? なんでまた?」
「いやさ、俺、中学一緒だから知ってんだけどよ、あいつちょっとここがな――」
 そう言いながら村上は人差し指を頭の横に持っていってクルクルと回した。村上のその動作に嫌悪感を抱いた。しかし、さっきのあの笑顔を見て少しでも気味悪がった俺には嫌悪感を抱く資格はないな、と自分を戒めた。
「頭おかしいってことか?」
「まぁな、俺もあんまこんな風には言いたくないんだけどよ、中学入ってから、あいつ序々に頭おかしくなってったんだよ。なんか授業中いきなり抜け出したり、騒ぎ出したりしてよ」
「へぇ、いったいなんでそんなことしたんだろうな?」
「いやな、ここだけの話だぞ? 噂なんだけどな。あいつんち父子家庭なんだよ。それでその父親ってのが酷い奴らしくてさ、なんか虐待みたいのされてんじゃないかってさ、あんま人に言うなよ?」
 そんな人にも言えないような噂を軽々しく自分にしてくる村上に矛盾を感じたが美樹は顔や言葉には出さなかった。
「虐待って殴ったり蹴ったりのあれか?」
「いやなんか、それだけじゃなくて犯られたりもしてるらしいぜ?」
「は? まじで? 根拠は?」
「だから、噂だって」
「そっか。根拠はないんだ。それにしても、それが本当の話だったらひでーな……、前の中学ではこの噂は広まってたのか?」
「あぁ、みんな知っててよ。だから、あいつと話す奴なんていなかったよ」
「……そうなんだ」
目の粗い砂が体内にザラザラと混ざりこんでくるかのような、そんな心地の悪い気分になった。そんな根も葉もないような噂が流れていること自体に吐き気がした。もしかしたら、あの最近誰も使わないような女言葉を使っている理由はマトモに友達と会話をしていないからなのかもしれない……。そんなことを考えていると一つの疑問が生まれた。
「……あれ? あのさ、噂がもし事実だったとしても被害者なわけだろ? なんでシカトされなきゃなんねぇんだよ?」
 そう聞くと村上はさも“何言ってんだ”っていうような表情で美樹を見てきた。
「はぁ? だって気持ちわりーだろ? 親父とやってんだぜ? しかも噂じゃ喜んでやってるとか聞いたしよ。まあ、つまり、あんま関わんない方がいいってことをアドバイスしてやってんだよ。あいつどうせこの学校でも浮くだろうから、仲良くすると損するぜ? どっちにしろ、いっつも意味わかんねぇことばっかり言っててあいつ気持ち悪いから、お前だって仲良くしようだとは思わないだろうけどな。ははは」
 村上は口の左端だけを小さく吊り上げて笑った。美樹はこの一連の会話とその表情で、自分がこいつのことを心から嫌いだと再確認し、さらにまたその思いが強くなった。もはや顔を見るだけで胸がざわついてくる。
「まぁ、仲良くなるかなんないかは俺が決めることだからほっといてくれよ。あとよ、そういうことあんま広めない方がいいぜ? せっかく妙な噂のない新しい環境が手に入ったんだから、それ奪ったらダメだろ?」
 美樹は抑えたつもりだったが口調にはどうしても角が立ってしまっていた。しかし村上はそんなことには気付いていないようだ。そんな鈍いところにも腹が立ってくる。
「あれ? もしかしてお前あいつ気に入っちゃった? へぇ〜、変わってるねぇ」
 やはり美樹の気持ちにまったく気付いていない村上はそう言いながら美樹の肩をポンポンと叩いてきた。そのリズムでざわついた胸がパンと弾けてしまった。
その手を払い美樹は乱暴に言い放った。
「そんなんじゃねぇよ! お前あんまくだらなぇこと言ってんじゃねぇぞ?」
「何怒ってんだよ? あれあれ? マジで気に入っちゃったとか? まぁ見た目はそこそこだもんなぁ、でも武藤、お前趣味悪いのな?」
 相変わらず口の左端だけ吊り上げた笑顔を浮かべている。
「だから違うって言ってんだろ?」
 美樹は静かに言い捨て、馬鹿でもわかるようにあからさまに睨んでやった。早くこの場から去れ、そんな意味を込めて。
「……はは、冗談だって。悪かったって、武藤ちゃん」
 睨むと村上もさすがに美樹がイラついているのを察し、すごすごと目の前から立ち去っっていった。村上の後姿に一瞥もくれず席に座ったまま美樹は黙り込んだ。もし自分にそんな噂が立ってしまったら、なんて考えてみたが男の美樹にはそれをリアルに自分に置き換える事は出来ずじまいだった。
そのうちに桜井という娘がどうして自分のことを知っていたのか結局わからずじまいだった消化不良と、先ほどの村上とのやりとりとのせいで、内蔵にもやもやしたと黒い霧が立ち込めてきたようなそんな感覚に陥ってしまった。なんの打開策もなかったので、すぐにその黒い霧は体中を蝕み、立ち上がるのも、身体を動かすのも億劫になってしまった。……とはいってもずっと座っているわけにもいかないので五分もしないうちに立ち上がり教室を後にした。

“……全く最低な気分だぜ”

次へ

戻る