風に吹かれて消えちまう



第一章 再初対面





駅へと向かう帰り道を他の生徒たちよりもゆっくりと歩いている。歩く速度が遅いのは言うまでもなく気分が悪いからだ。タバコでも吸いたい気分だったがさすがに通学路での喫煙は気が引けた。……しかも制服だしね。
「ふぅ〜」
 いつものようにこのため息で気分を変えようと試みたが成果は得られなかった。一向に気分が良くなる兆しはやってこない。諦めてとりあえずもう帰って寝るか、と思っていると、横を歩く美樹の学校の制服を着た女子二人組みがなにやらこそこそと話している声が聞こえてきた。
『どうする? 話しかける? 遅刻してきた人だよね?』
なんて言葉が漏れ聞こえてきた。どうやら美樹のことを話しているようだ。“遅刻”のフレーズでそのことに気付いた。思わず耳を欹ててしまう。
『ほら、倫子、声かけてみなって』
『私? 私無理だよ』
美樹はなんだか恥ずかしくなってきた。話しかけてくるなら早く話しかけてくれ……、話しかけてこないなら俺の話題を出さないでくれよ。
『なんか面白そうな人だよね?』
『そうだね』
 まだ話しかけてこないでこそこそと話している。……聞こえてるのに。しかも面白そうな人だとかプレッシャーだ。そんなことを考えているうちに嫌な気分が多少晴れてきた。
「あの、武藤君でいいんだよね?」
 いいタイミングだ。やっと話しかけてきた。
「え? うん、そうだよ」
 今気づいた、そんな演技をした。そして面白い事を言わなきゃな、とかも一応、頭の片隅にあった。
「やっぱり! 私たち同じクラスなんだ。遅刻したとこ見たよ!」
「あ、マジで? えっと……、うん、俺、遅刻…、遅刻しちゃったのぉ」
 面白い事を言おうとしたのが全く思いつかず、それが裏目に出て、頭の悪い奴みたいになってしまった。
「……へへへ、武藤君って面白いね!」
 笑うまでに少し間があった。これはきっと愛想笑いと同情だ。美樹は顔から火が出るかと思った。それで世界が焼き尽くされればいいのに、と思った。
「……いや、ごめんね」
「ん? 何が?」
「面白いこと言おうと思ったんだけど、思い浮かばないで変な事言っちゃったっぽいからさ」
 もう正直に言ってしまった。
「あはは、別にいいよ。謝る事じゃないしね。ねえ倫子」
「うん、えへへ」
 なぜかウケた。やはり正直者にはなんとやらだ。なんだか嬉しくて仕方ない。
「えっと、私、宇佐美しのぶ、よろしく。しのぶって呼び捨てでいいからね? んでこっちが柿沢倫子、倫子も呼び捨てにしてあげて!」
 宇佐美しのぶと名乗った娘のちょっと後ろにいるおとなしそうな女の子がぺこっ会釈をしてきた。
「あ、よろしく、俺は武藤美樹。呼び捨てにしたら怒るから」
「ははは」
 二人が声を揃えて笑う。乗ってきた。俺、乗ってきた。
「でも、あれだね美樹ってなんか女の子みたいな名前だね?」
 しのぶが言う。
「あ、それ言わないで、ちょっと気にしてるからさ」
「そうなんだごめんごめん! そう言えばさ、桜井さんと仲いいの? 今日ずっとしゃべってたっぽいけど?」
「え、別に。今日初めて会ったんだよ?」
 いや、初めてではないんだっけか……? 美樹にはやっぱりわからない。
「ふうん。そうなんだ、あの娘変わってるね?」
「え、なんで?」
「そっか遅刻して知らないんだよね、さっきちょっとした騒動だったんだよ。あの娘、上履き持ってこないで土足で教室に上がってたもんだからさ、それ注意した先生と言い合いになっちゃって。桜井さん、今日は“持ってないんだから怒ったってしょうがないでしょ?” みたいに冷静に言っちゃって、その冷静さが先生の癇に触っちゃったみたいでさ、結局は桜井さんが靴脱いで終わったんだけどね。武藤君が来た時、雰囲気悪かったでしょ? そのせいだったんだよ」
「へぇ、そうなんだ」
 そんなことがあったんだ。そう思うと同時にこの娘はよくしゃべる娘だなぁ、なんて思っていた。
「でさ、話し変わるんだけど、倫子がね、武藤君面白そうで興味深々だってさ」
 いたずらっぽく言ってきた。
「――ば、ばか」
 宇佐美しのぶの袖を慌てた様子の柿沢倫子が引っ張った。
 さすがの美樹も面と向かってそんなこと言われると照れくさくなってしまって、どうしていいかわからず戸惑うばかりだった。
 その後、学校のことなんかを話しながら駅まで三人で歩いた。駅に着くと、しのぶだけが別方向の電車に乗るらしく、手を振って一人ホームの反対側に行くため階段を登って行った。そうなると必然的に美樹と倫子は二人きりになる。そして黙って電車を待っている。
さっきまでは基本的にしのぶがしゃべっていてくれていたため、二人は会話に困ることはなかったが、そのしのぶいなくなると何を話せばいいのかわからなくなった。しかも、しのぶは別れ際に二人っきりになる美樹と倫子になにやら意味深な笑みを浮かべていた。
「……えっと、宇佐美さんだっけ? あの娘かなりよくしゃべるね?」
 ようやく美樹が口を開いた。情けないことにたいした話題の思い浮かばなかった美樹はしのぶの話題を振ってみたのだ。
「そうでしょ? 昔からなんだよね」
「あれ? 電車の方向違うのに昔からの友達なんだ?」
「うん、私引っ越しちゃったけど小学校が一緒だったの。しのぶはいつでもペチャクチャしゃべってたなぁ」
 会話が続くようになったことに美樹はほっと胸を撫で下ろしていた。倫子もどこかそんな表情をしているように見えた。
「あ、そういえば、しのぶが言ってたの冗談だからね?」
「んじゃ、俺はつまんなさそうで、全く興味ないってこと?」
 笑顔で言った。
「いや、そんなことないんだけど、もう意地悪だね」
「はは、ごめんごめん」
 美樹は倫子のことがかわいいな、と素直に感じた。というよりも、
“うわぁ〜超可愛い!”
と感じていた。
 倫子とは最寄り駅が一緒だった。
「この駅使ってんだ?」
「うん、武藤君もここなんだ。偶然だね!」
 違うよ、運命さ。もちろん声には出さなかった。
「だね」
「んじゃたまには一緒に帰ろっか?」
“っはい!”なんて大きな声で言いそうな自分を必死で押さえ、
「ああ、いいよ」
 なんて言った。
「へへ、やった」
 倫子が笑った。
“うわぁ〜超可愛い”
 美樹はデレデレしてしまいそうな顔をグッと整えるのに必死だった。

 使っている駅は一緒だが美樹は北口で倫子は南口だったため、倫子とはホームで別れ、一人、駅を出て駐輪所へと歩いた。その間にポケットから自転車の鍵を取り出そうとした。しかし、ポケットに鍵は入っていなかった。制服やカバンのあらゆるポケットを探すが鍵は出てこない。
“急いでたから鍵を外し忘れたのかも”
 美樹はそう思い自転車の元へと向かった。
 ……その自転車が無かった。
 鍵を外し忘れたのかも、その推理は当たったが、事件はそこから始まっていたようだ。つまり自転車を盗まれてしまったのだ。自転車を盗まれたのはこれで三度目だった。今のところそれが戻ってきた例はない。前回も鍵を掛け忘れて盗まれた。母親には次、盗まれたら自分で買いなさいと言われていた。……違う。盗まれたんじゃない。
美樹は頭の中をプラス思考に書き換える。
中国から日本語とIT関係の勉強に来たチャンには国に病気の妹がいるんだ。妹はメイファ。まだ八歳なんだ。朝、国からの国際電話で目覚めたチャンは妹の病気が悪くなったって知らせを受けたんだ。一度家に帰らなければ、そりゃチャンは妹思いの兄なわけだから、部屋中から金をかき集めるさ。やっとこさ飛行機代だけは揃ったんだ。でも成田まで行く電車代までは用意できなかった。そんなとき俺の自転車を見つけて鍵が付いたまんまだったもんだからちょっと借りたんだ。そう借りただけなんだ。
 よし、それならきっと日本にまた帰ってきたときに自転車を返してくれるはずだ。チャンは悪い奴じゃないんだ。もちろん俺だってそんな理由だったら喜んで貸すさ!
 メイファ、頑張れ!!
 美樹はトボトボと歩いて家へ帰った。
 
 部屋に入りごろんとベッドに横になる。
 チャンに貸した自転車のことは頭から追い払った。
すると可愛らしい倫子の笑顔が浮かんできた。……これから一緒に帰ったり出来るかなぁ。またもやニヤニヤしてしまいそうになる。とりあえず制服から部屋着に着替えようとベッドから起き上がると机の上の卒業アルバムが目に入った。桜井という娘のことを思い出した。そういや、どうして俺の昔のあだ名を知ってるんだろうか、“みーちゃん”ってあだ名を知っていることからきっと小学生のころの知り合いだということは間違いない。
 美樹はそう推理し、棚の奥から小学校の卒業アルバムを取り出しクラスごとのページを食い入るように見て、桜井の名前を探し始めた。
 一組のページ。……桜井の名前はなかった。
 二組のページ。……ない。
 三組のページ。……あった。しかし、桜井充、太った男子だった。
 美樹の小学校は三クラスだった。小学校の時の知り合いではない? そう思ったが他でみーちゃんなんて呼ばれたことはなかった。もしかしたら親の離婚かなんかで苗字が変わって……、そんな可能性も考えてアルバムの女子の顔からあの娘の面影を探してみた。しかし、結局そんな確実性にかける方法では、見つけ出すことは出来なかった。
「美樹! ご飯よ!」
 ちょうど棚にアルバムを戻したときに居間の母親から声がかかってきた。棘はない。もう怒ってはいないようだ。
「はいよ〜!」
 そう答えて居間へ向おうと部屋を出た。
「う〜ん、桜井かぁ、わかんねぇなぁ」
 独り言を呟き、手を洗いに行った。

 夕飯は肉じゃがと切り干し大根だった。比較的美樹の好きな部類だ。
「学校はどう? 遅刻はしなかった?」
 母親が聞いてくる。美樹はおもいっきり遅刻したとは言えず、
「まあまあだったね」
 そうやって軽く濁し、話を変える意味も込めて次の言葉を捜した。
「あ、そういやさ、桜井って女の子知ってる?」
 すると頭にこびりついていたこの名前が口から出てきた。言った後に、何言ってんだ、知ってるはずねぇじゃん、そう思ったがそれもつかの間、
「桜井って美遊ちゃんのこと?」
 美樹の箸が止まる。
「知ってんの?」
「覚えてるわよ。でも、気の毒よねぇ、確かあの娘、お父さんのほうと生活することになったのよね? お父さん、酒癖悪かったからきっと苦労してるだろうね――」
 みゆ? 桜井……、み…ゆ……。桜井みゆ? 
美遊!
桜井美遊!
美樹の脳裏に幼き日の桜井美遊の姿形が鮮明に蘇ってきた。その姿形は隣の席にの少女になんのぶれも無く繋がっていく。
そうだ、桜井美遊、小学校の五年生の時に引っ越していったあの娘だ! しかも、確か、引っ越してきたのが四年生だか三年生だかだった。一年くらいしか一緒の学校に通っていなかったんだ。アルバムに載っていなかったはずだ。卒業のときにはいなかったんだから。
美樹は謎を解いた探偵のような気分になり柄にもなく少し興奮した。実は美樹が自分に付いたみーちゃんというあだ名を変えた一番の理由は女の子と同じあだ名が嫌だったからだった。そんなことも思い出した。さすがに美樹たち男子は“みーちゃん”なんて呼んではいなかったが、女子はそう呼んでいた。桜井美遊が転校してきてから自分の名前が女っぽいと自覚したってことも今の今まで忘れていた。美樹という名前が女っぽくて嫌いだった記憶とごっちゃになっていたのだろう。一つ思い出すと、水門が決壊したかのように、次々と記憶が蘇ってくる。そう、確か両親の離婚が原因で引っ越していったんだ。美樹は桜井美遊との思い出をいくつも思い出していった。
桜井美遊は美樹と同じ団地に住んでいた。美樹の二つ下の一階だった。仲が良かったとまでは言えないかもしれないが家が近かったためか何度となく遊んだことがあった。
……そういえばよく一人で外にいたな。
団地の階段で桜井美遊が一人で座っている光景を思い出した。その光景は美樹の中で風景として思い出されるほど頻繁に見る光景だった。美樹が帰ってくると、おかえり、と言って桜井美遊がにこっと笑う。そんな風景。そういえば遊びにいく予定がないときは団地の下でちょくちょくバトミントンなんかして遊んでいたなぁ。そのときの表情を思い出した。
……笑顔の雰囲気が随分変わっている。
あんな奇妙な“笑っていない笑顔”では決してなかった。そう、どちらかというと、しのぶのように“へへへ”と明るく笑う印象があった。離婚のことや、噂のせいで友達がいなかったことなんかがあの笑顔に関係しているのだろうか……。気分が重くなるような要素も孕んではいたが、とりあえず思い出したことに満足した美樹は肉じゃがの“じゃが”を口に運んだ。
「んで、その美遊ちゃんがどうしたの?」
 母親がいたことなんか忘れていた。
「え? あぁ、おんなじクラスなんだよ」
「へぇ〜、やったじゃない、あの子、結構かわいい顔してたわよね?」
「そう?」
 可愛いという言葉を聞くと美樹は照れ笑いする倫子の顔を思い出した。……へへ、超可愛い。
 
 夕飯を食べ終えた美樹が部屋に戻り、テレビを点けタバコを吸いながら食休みをしてると自分に対する一つ疑問が生まれた。それは、……たかが一、二年とはいえ頻繁に遊んでいた桜井美遊のことをどうしてこうもさっぱり忘れてしまっていたのだろう、そんな疑問だった。横になりながら考えてみはしたが、どうして忘れてしまっていたのか、なんて疑問はいくら考えても当然思い出されることはなかった。きっと笑顔の雰囲気が変わってしまったからかもなぁ、なんて“なぜ忘れてしまっていたのだろう”という疑問を、“なぜ思い出せなかったのだろう”という疑問にすり替えなんとか解決してから、美樹はそのまま、うたた寝をしてしまう。いい夢を見た。

“……でへへ、倫子、そこはダメだよ”

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