風に吹かれて消えちまう



第二章 恋するピエロ





 七月。
晴天。
うだるような暑さ。
わいわいと騒がしい昼休みの一年三組。たいがいの男子はワイシャツのボタンを上から四つ目まで空けている。女子は男子の目を盗みスカートの中を教科書でパタパタと扇いでいる。美樹はワイシャツの下に来ていてタンクトップが汗だくになったのでそれを脱いでワイシャツ一枚だけをだらしなく羽織っているだけだった。
「――やっぱり? いいよね。あの映画さ。倫ちゃんは?」
 目の前で村上が倫子に話しかけている。
「え……と、私はあんまりかな」
 申し訳なさそうにそう言う倫子。
「そ、そう? いや、俺も実はそこまでは……」
 予想外であろう倫子の言葉に村上がしどろもどろになっている。ザマミロ。
 教室の一角で美樹は倫子、村上、しのぶ、他にも数人を交えた輪の中で話に加わっていた。
「美樹君はあの映画どう思う?」
 倫子が美樹に話を振ってきた。話題は今話題になっている映画のことだ。
「さぁ、俺見てないからね、なんとも言えないけど、まぁ別に見る気もしないかな」
「そうなんだ、美樹君は最近だったらどの映画が好き?」
「そうだなぁ……、あのイカツい監督の取った青春映画が良かったかな!」
「あ、やっぱり? 私もすごい良かったと思ってたんだよね!」
 倫子がはしゃいだ声を出す。
「だろ?」
 なんて言っているが内心は“うわぁ〜超可愛い”って思っていた。そう、学校が始まってから二ヶ月と少し経っていたが倫子との距離はイマイチ縮まっていなかった。それでもほとんどの日は一緒に帰れているので、美樹の勇気だとか、勢いだとか、そういったものが足りていないというのが距離の縮まらない一番の原因だろう。
「あ〜、倫子メチャクチャ嬉しそうだねぇ、へへっ」
 しのぶがすかさず茶化してくる。ナイスおせっかい!
「――ば、ばか、何言ってんの!」
 顔を赤くして倫子が言い返す。
「倫子が言わないから私が言ってあげてんだよ! どちらかと言ったら感謝して欲しいくらいだよ」
「もう、ホントに怒るよ?」
「あ、倫子に怒られる。怖いよ、美樹く〜ん」
 しのぶは相変わらずこんな風にいつでもからかってくる。もはや趣味のようだ。
「しのぶ!」
「ごめんごめん、ちょっとやりすぎ? へへ」
「ちょっとじゃないよ! 美樹君も気にしないでね?」
「え? あ、うん。しのぶは基本的にほっとこうな、倫子」
 と言いつつも“でへへ、美樹君だってぇ”なんて、しのぶがいつしか「武藤君」から「美樹君」に呼び方を変えたことに従って倫子も最近「美樹君」と呼んでくれるようになったことに嬉しがっていた。そして「倫子」と呼び捨てにしている自分にも嬉しがっていた。しかし、美樹だってまだまだ思春期の男子、さすがに目の前でこんなやり取りを見せられると美樹も嬉しいというより困ってしまう。目のやり場にも困り、その倫子やしのぶといった周りの連中から眼を背けた。
そして、偶然、桜井美遊の机で目が止まった。
少し考え込んだ。
学校が始まって二ヶ月ほど過ぎたということは、つまり、あれから、美樹が桜井美遊を見捨てて逃げた事実を思い出してからも二ヶ月近くが経過しているということだ。先ほどのやり取りからもわかるように、クラス内には小さな派閥みたいなものも出来上がって皆それなりに楽しそうな学園生活を送っている。美樹も気付くと何人かのグループの中に入っていた。グループ内には倫子やしのぶ、そして村上もいた。もちろん嫌なこともあるがまぁ楽しくやっている。そんな中、桜井美遊はというと、村上の予想通り、すっかりクラスから浮いて孤立していた。登校してくるのも二日に一回だとか、三日に一回だとかまちまちだった。今日だって学校には来ていない。そして未だに美樹は思い出したことを桜井美遊に告げることは出来ていなかった。そのことが美樹から様々な自信を奪っているのは間違いないだろう。倫子に強く攻めていけない原因もその辺りに起因しているようだ。なにせ、美樹はあれから頻繁にではないが、酷く自分を責めてしまうことがあるのだ。そういう時はいつでも、どこにいてもあの真っ暗な密室に閉じ込められたような気分になり、気が滅入ってきてしまう。思い出したことを桜井美遊に打ち明けて、ちゃんと謝ればその密室から抜け出せて、自信も取り戻せるのではないか、とは思っていてもそれが実行に移せないのが現状であった。
「――そ、そういえば倫ちゃんはさ、どんな人がタイプなの?」
 美樹が桜井美遊の机を見てると、慌てた調子で村上が話題を変えていた。美樹は、少し前に村上が倫子のことが可愛いだの、付き合いたいだの言っていたことを思い出した。
「え、何でタイプなんて今聞くの?」
「いや、倫ちゃんがかわいいからだよ、なんちゃって」
「やだ、何言ってんの、もう」
 倫子の顔を赤らめて言ったその一言でみんな笑った。美樹一人を除いて。
美樹はやはり村上のことが好きになれなかった。同じグループ内でいつでも一緒にいるが慣れ慣れしくされるのも嫌だった。村上がしゃべるだけでイライラしてしまう。
 赤い顔のまま倫子が美樹のほうをチラッと見てきた。一応は笑って見せた。

 学校の帰り道、今日は倫子としのぶと村上と四人で駅まで向かって歩いている。しのぶも村上も普段は部活をやっているのだが今は、期末テスト一週間前ということでほとんどの部活が活動を休んでいるため、普段通りの時間で帰れるのだ。
「そんでさ、俺頭きたから思いっきり殴ってやったんだよね――」
 村上が中学時代の、まことしやかな喧嘩の話をしている。……こいつはほんとにくだらないな。舌打ちをしたくなるほどのイライラを隠すため美樹は口数を少なくしていた。
 駅に着くとしのぶと村上とは別方向の電車に乗るため、二人は別ホーム行くため階段に向かった。その間際、村上が軽く“倫子にちょっかいだすんじゃねぇぞ”的な目で睨んできたが完全に無視し、しのぶにだけ「またな」と挨拶をした。

 暫く二人で電車を待っていると駅構内にアナウンスが流れてきた。どうやら、次の電車は階段を登った先のホームに来るという。
「向こうだってさ」
 美樹はそう言って歩き出した。実はこれが二人きりになってから初めてしゃべった言葉だった。村上と長いこと一緒にいたため機嫌が悪かったのだ。
「……あのさ、美樹君って村上君嫌いなの?」
 階段を上り始めるとすぐに倫子が聞いてきた。
「……別に」
 美樹は適当に答えスタスタと階段を登っていく。当然倫子も同じペースで着いてくるものだと思っていたが、ふと横を見ると隣に倫子はいなかった。振り返ると階段の三段目くらいで止まっていた。
「ん? どうしたの?」
 美樹が声を掛ける。
「うん、あのさ、こういうこと言うのおこがましいとは思うんだけどさ……、村上君とも仲良くしたら?」
 少しオドオドとしながら聞いてきた。
「はぁ? なんでよ?」
「だってさ、同じ仲良しグループの仲間なんだしさ……」
 美樹の言い方がきつかったのか倫子は言いづらそうだ。
 しばし気まずい空気が流れた。美樹は「ふぅ〜」っと小さなため息をつき、
「仲良しグループって、小学生じゃないんだから」
 とからかうように言った。
「何よ〜」
 美樹が笑うと倫子もホッとしたように笑った。
「とりあえずさ、こんなとこで止まってたら電車乗り遅れちゃうぞ?」
「あ、ごめんごめん」
 はっとした顔で言ってくる。可愛らしい表情だった。そのまま二人は小走りで電車に乗り込んだ。
「あぶなかったねぇ」
 ちょっとだけ息を切らした倫子が言ってきた。
「倫子が立ち止まってるからだよ」
「……だって」
 倫子はそのまま口籠る。
「村上のことだろ? まぁ、倫子が思ってる通り俺はあいつ嫌いだよ」
「やっぱりそうなんだ。でも、なんで? 村上君いると周りが明るくなって楽しいじゃん?」
「ぜんぜん楽しくねぇよ、俺はあいつ無理だよ。だって、あいつ性格悪すぎるだろ?」
「そんなことないよ。美樹君が知らないだけで結構優しいんだよ? この前も荷物持ってくれたりしたし、焼きそばパンも買ってもらったことあるもん」
「はぁ? それは倫子に気があるからだろ?」
「え?」
 倫子が一瞬固まった。そしてすぐに顔が赤くなった。
「――な、何言ってんの? そんなわけないじゃん」
 慌ててそう言ってきた。美樹は“何照れてんだよ”と思いながら、
「そもそもな、何かしてもらったり、なんか買ってもらっただけで優しいとか思うの安直すぎねぇか? 優しいってそういうことじゃないだろ?」
 と言い捨てる。
「…で、でも……」
「でも何だよ?」
「仲良くして欲しいな……、確かに村上君は無神経なところあるけどさ、誰にだって良い所はあるでしょ?」
「……あいつはねぇよ」
 そっぽを向いて言った。ここまでイラつくのはきっと倫子が村上に好意的な印象を持っているから、倫子が村上を褒めるからだろう。
「……美樹君」
 倫子はすがるような声を出した。
「ところで、なんで俺が村上と仲良くしなきゃいけないわけ?」
 そっぽを向いたまま言った。
「だって、村上君がしゃべると美樹君一人だけつまんなそうにしてるし……」
「いや、つまんなそうじゃなくてさ、つまんないんだよ」
「…美樹君ひねくれてる」
 倫子のちょっとむっとした声が聞こえた。美樹は何も答えなかった。ちょうどそのとき電車が美樹たちの降りる駅に着いた。無言で電車を降りると倫子も後ろを着いてきた。気まずいな……。そう思ったが、色々言ってしまった手前、今更取り繕うことなんてかっこ悪くて出来なかった。美樹の足は止まらずスタスタと進んでしまう。すると、
「怒った?」
 倫子が後ろからYシャツの袖を掴んで聞いてきた。
「いや、別に怒ってないけど……」
 チラッと倫子を見ると目にいっぱい涙を浮かべていた。
あ、やばい……。どうしよう。謝ろうかな……、ん? だけどいったい何を謝ればいいんだろう。村上のことは謝るわけにはいかない。そうだな、じゃあ生まれてきた事でも謝ろうかな。そうしたら泣かさないで済むかな? 美樹は女の子が泣いてるという状況が大の苦手だった。そのため少し混乱しているのだ。しかも、泣いているというだけでも焦ってしまうのに、原因が自分だとなると尚更で、相手が倫子だったら“さらに”だった。
「えっと、ごめんね。俺は悪い奴だよね? もう困っちゃうよねぇ?」
混乱しているとはいえ相当かっこ悪い。わかってはいるがどうしようも出来ない。
「……そんなこと言ってないよ」
 倫子の声が震えだした。さらに焦る美樹。
「……いや、だって、倫子さ、村上ばかり褒めるし……、ちょっとむかついちゃったの……」
 何が“むかついちゃったの……”だよ! と思った後に、今、物凄い恥ずかしいことを言ってしまった事に気付いた。気持ちがバレてしまう。
「え? あの、違うよ? 私は美樹君がつまんなそうにしてるのが嫌なだけだよ……」
 しかし、倫子はその発言を聞き、照れながらこんなことを言ってきた。
「え? そうなの? そうなんだ」
 瞬間美樹の機嫌はすこぶる良くなった。単純な小僧だと自分でも思う。
「うん、そうだよ」
「そうなんだ」
「そうだよ」
 二人とも目を合わさないで話している。
「そうなん……、あっ、やべ!」
「え? 何?」
 美樹が大きな声を上げると倫子が驚いて聞いてくる。
 あることを思い出した。たいした事ではない。明日までの宿題に使う教科書を学校に忘れてしまっていたのだ。
「あのさ、今日古文宿題出てたじゃん? その教科書忘れちゃった……」
「ほんとに? あれないと絶対出来ないよ!」
「だよね〜……」
 どうすっかな……。美樹は悩んだ。一度学校に戻って教科書を取りに行けばいい、ただそれだけ、簡単な話のはずなのに悩んでいる。なぜか? ……だって今、ちょっと倫子と良い感じだ。出来れば学校に戻りたくない。それが理由だった。しかし、実は今日も宿題を一つ忘れて、というか面倒くさかったからやらないで授業に出て軽く説教を受けたばかりだった。その授業も古文だった。
「う〜ん……」
 真剣に悩む。例えば教科書を取りに戻らないとする。そうすると、どうなるんだ? ……別にどうなるもんでもないな。このまま、好き、だとか、付き合おう、だとか、結婚しよう、だとかそんな話になるわけでもなさそうだな。
「戻って教科書取ってきなよ。明日も宿題忘れたらすっごい怒られるよ?」
 ……う〜ん、でももしかするともしかするかも……。しばらく悩んだが、やはり今すぐどうこうなるわけではなさそうだし、二日連続で宿題を忘れるわけにはいかないな、という考えにまとまった。
「……しょうがないか、うん、じゃ俺学校戻るわ」
「うん。そうしなよ」
 倫子が笑って言った。
“うわぁ〜超可愛い”
「あ、あのさ、俺一応努力はしてみるよ。村上とのこと」
 可愛さに負けた美樹だった。
「え? 別に無理に仲良くしなくてもいいよ? 美樹君がいいならそれでいいし」
「いや、だから一応だよ! あんま期待しないでよ?」
 美樹は笑って見せた。
「うん! 期待しないで見守るよ」
 うんうんと頷いてみせる。
「んじゃ、俺あの電車乗っちゃうな」
 そう言って美樹はそのまま向かい側の電車に乗り込んだ。電車のドアが閉まってから二人で手を振り合った。嬉しくて、恥ずかしくてたまらない。
電車が動き出す。倫子の笑顔、可愛い笑顔が見えなくなった。
ドアに寄りかかり腕を組む。
……そろそろ告白でもしてみるかな? いや、もう少し確実性を増してからにするか……。いやいや、今日のやりとりで確実性はもう十分増しただろ?
 美樹は電車の中で一人、にやけながら必死にそんなことを考えていた。

“告白の言葉はかっこいいのにしようかな、それとも純粋っぽいのにしようかな……”

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