主催者サイド・1


トーマはお気に入りの真っ赤なスポーツタイプの自転車に乗り、通いなれた通学路をすいすいと走っている。普段ならわんさかといる障害物、つまり、他の生徒がいるため、こう、すいすいとは走ることは出来ないだろう。しかし、トーマは今日、大遅刻をしている。そのため自転車は軽やかに走るのだ。
だが、この軽やかな走りとは裏腹に顔は真剣そのものだった。
数日前に殺した家族のことを考え、その罪の意識がトーマにこんな表情をさせているのだろうか? ……いや、トーマは元々罪の意識がどうこうとか、そういった機能を持ち合わせている人間ではない。
ではなぜ?
考えていることは全く違っていた。トーマの考えていること、それは今日学校で立ち上げる同好会の名前のことだった。
「……そうだな、もちろんクールなのがいいに決まっている。そして陳腐な響きでなければならないな……」
思わずそんな声を口から漏らしてしまう。
自転車は軽快に走る。学校に着くころにはそのコンセプトのもと候補が二つに絞られていた。
一つは好きなドリンクの名前からとった“ビタミンX”、二つ目はこの同好会を起こすインスピレーションを与えてくれた流れ星から“シューティングスターシンドローム”。
……どちらにしようか。腕を組み、考え込みながら階段を一歩一歩と登った。
教室の扉を開け、中に入ると、その時間を担当していた国語教師が遅刻を注意してくる。しかし、トーマは全く耳を傾けないようともしない。
「うん、やはり、わかりやすいほうがいいだろう……」
 ぼそっと呟いた。
「何言ってるんだ?」
 教師は眉を寄せ、訝しげに聞いてくる。トーマはまたも、それを完璧に無視し自分の席に着いた。目すら合わせない。
「おい、一言遅れてすいませんとか言えないのか!!」
 トーマはカバンから一冊の新品のノートを出し、太めのサインペンでその表紙にこう書いた。

“シューティングスターシンドローム”

全く相手にされなかった教師は怒りのやり場に困ったが、周りの生徒から「こいつに何言っても無駄だよ」と諭され、ようやく授業を再開した。授業の最中、トーマはそのノートに一心不乱にびっしりとこれからの展望を書き連ねていった。

休み時間になった。トーマはすぐに動いた。トーマの心がけていること、冷静な判断と迅速なアクション、そして徹底した準備。トーマは目星をつけていた奴、何人かを見繕い声を掛けた。その日の放課後にはシューティングスターシンドロームのメンバーは七人になっていた。
 学校の帰りに皆で集まった。場所は学校の近くのファーストフード店だった。
「計画は言った通りだ。そのためには何が必要だと思う?」
 トーマが皆に投げかけた。しかし、返事はない。よく見るとトーマの周りの奴らは皆一様におどおどしていたり、俯いていたりと、元気とか覇気とか呼ばれるものがない。もっと簡単に言えば暗いだとか、冴えないだとかそんな印象を受ける。
 実際トーマの周りにいる奴らはいじめを受けている生徒や、不登校気味の生徒、つまり学校というコミュニティーにおける脱落者ばかりであった。そいつらが全くもってしゃべらないのでトーマは自分の質問に自分で答えた。
「やはり、身内だけでこじんまりとするのはクールではない。俺は最低でも三十人は集めたいと考えている。そのためには宣伝する場所が必要だ。わかるな?」
 そいつらは相変わらず無言だったがこくっと頷いた。
「もちろん、大々的に宣伝なんかできるわけがない。匿名性と、多様性、そして多方面から参加者を募らなければならないということを考えると、ホームページというのが一番妥当な判断だろう。この中でその手のことに詳しい奴はいるか?」
 その質問にニキビだらけで、小太りの女子が手を挙げた。
「え〜と、君は小倉さんだったな、小倉塔子さんでいいんだよな? 君はこういうの得意なのか?」
「……は、は…い、私、自分でホームページ作ったりも…します……」
 トーマの目を見ないその娘の声は、大した音でもない周りの雑音にかき消されてしまうほど小さな声だった。
「それじゃ、小倉さんには俺と一緒にページを作ってもらおう、他の皆には状況が進むたびその都度連絡する。その状況次第によっては他の皆の手を借りる事は十分にありえるから、それは頼むな」
 皆、無言で頷いた。
「それと、言わずとも、わかっているとは思うがこのことは他言無用だ。もし同じようなことを考えている奴がいたとしてもまずは俺に言ってくれ。わかったか?」
 またしても無言で頷く。
「これに関してはしっかり返事をしろ、厳守してもらわないと困る。ちょっとしたミスのおかげで計画が頓挫してしまったらそれこそ取り返しのつかないことになる。皆もそれは嫌だろう? 一人は嫌だろう? どんな些細なことでもこの件に関してはまずは俺に言うんだ。わかったか?」
 しかし、誰一人声を発さない。
「わかったか!!」
 トーマが強くいうとパラパラと小さな声で肯定の返事が返ってきた。
「よし、俺たちが運命共同体の仲間、同士だってことを忘れないでくれよ。それでは今日のところは解散だ。また追って連絡する。小倉さんはこれから俺のうちへ来てくれ。早速取り掛かろう」
「え? あ……、はい」
 小さく体を震わせながら頷いた。
こんなふうにメンバーを集めて、会議のような場を設けたのはトーマであったが、実際のところはトーマにはこんな話し合いは必要なかった。なぜなら、こうなることは初めから計算づくだったからだ。計画を立てた段階から三十から五十人位の規模でやることは決めていたし、それに伴いホームページで人員を募ることも念頭に置いていた。でなければあの星空に勝てないと思っていたのだ。しかし、参加者達のテンションは上げてやらなればならない。そして脱落者や、裏切り者を出さないようにしっかりと仲間意識や、それに付随する高揚感を味あわせなければならないと考え、この席を設けただけだ。とどのつまり、簡単なマインドコントロールを施したというわけだった。

■■■■

小倉塔子、十六歳、高校二年生。トーマとはクラスは違うが同じ学校の同学年である。
塔子は小学校の二年生の頃から散々ないじめを受けていたという過去を持っていた。
掃除を押し付けれたり、靴を隠されたり、靴の中に画鋲を入れられたり、階段から突き落とされたり、そんなことを繰り返しされていた。初めのうちはそんなことをされる理由がわからなかったので、色々と打開策を考え試してみた。人と居るときはなるべく笑顔を作ってみたり、苦手な運動や、勉強を頑張ってみたりと。しかし、打開どころか状況は序々に悪化していった。塔子は学校に行くこと嫌になるほど悲しかったが、それよりも不思議でしょうがなかった。いったい、どうして私が? 何か悪い事をしているのだろうか? 常に考えていた。
そして塔子が小学校五年生になったある日、その明確な理由を知った。たまたまいじめてくる奴同士で自分のことを言っているのを聞いたのだ。
顔、肌、体型、つまり見た目が気持ち悪いということ。その理由を知ってからは学校に行くことがさらに苦痛になった。
しかし、それでも“全然まし”だったと中学に入った塔子は感じた。
 中学でのいじめは次元が違った。元々、塔子の通う中学の地域は治安が悪かった。しかも、中学と言えば、ヤンキー、チーマー、ギャング、時代によって呼び名は違えど、ともかく不良少年達が本格的に非行少年になる年代。地獄なんていう生ぬるいものではなかった。思い返すのも恐ろしいくらいのことがたくさん起きた。当たり前のように暴力が増え、その質も威力も増した。そして、それはすぐに性的なものにまで発展した。服を切られる、全裸にされて男子に見られる。しかもそれを見た男子が大声で笑う。犬の排泄物を食べさせられたこともあった。それも食べた後にはおいしいと言わなければ、思い切り殴られるのだ。お昼の構内放送で流れる音楽が嫌いだった。そのリズムに合わせてお腹を殴られるから。体育倉庫で膣や肛門にドリンクのビンを入られたこともあった。ちなみに処女は中二の秋ごろにデッキブラシの柄で破られた。
 親には言えなかった。あなたの子供が学校で酷い事をされています、という言葉は塔子には重すぎた。そんなことを知った親の心情を想像すると、とても言えなかった。しかし、教師には一度言ったことがある。デッキブラシのことの後だった。さすがにどんなことをされているかまでは言えなかったが、いじめで酷い目にあっているということを伝えた。その教師はこう言った。
「小倉、そうだったのか……、でも、まずは自分で抵抗しないとダメだ。今、先生がクラスで小倉をいじめるな! なんて言っても効力は長続きしないだろう。きっと、自分の意思で少しでも突破口を開く努力をしなけりゃ意味がないんだ。いじめってのはそういうものだ。わかるか? 弱いままででは喰われ続けてしまうんだ」
 正論だった。教師のくせにいじめが無くならないものだという真実を受け入れたあとの非の打ち所のない正論だった。
しかし塔子にとってのその“突破口”というものが教師に事実を伝えるということだった、これだけでも相当な勇気が必要な行動だったのだ。当のいじめ相手にはどうしても言い返したり、やり返したり出来なかった。そんなイニシアチブを取る事すら出来なかった。
本当に心の底からそいつらが恐ろしいのだ。悪魔や幽霊なんてものよりもずっと恐ろしいのだ。自分が今まで習ってきた人間というものがおよそしないであろう酷いことを自分にしてくるのだ。抵抗なんて出来るはずがなかった。
結局この“教師に助けを求める”という唯一できた抵抗もなんの役にも立たなかった。
……そして、いじめはさらにエスカレートしていった。
“電気ショックを与えられ続けたネズミはいずれ無気力になり抵抗を止める”
こんな実験結果がある。それからの塔子はこのネズミのようになされるがままだった。だからといって辛くなかったわけでは決してない。ただ、もう何がなんだかよくわからなくなっていったのだ。
 幸い中学を卒業するとそのいじめの集団とは接点がなくなった。入った高校では特にいじめられたりすることはなかった。しかし、七年間も毎日のように精神と肉体を虐げられてきたのだ。そのころには誰かと目を合わすことにすら恐怖を覚えてしまうような状態だった。だから、誰とも会話なんてしなかった。人と会話する能力も七年間で消え去っていた。
辛さ、痛み、苦しみ、そういったものは極端に減った。しかし、……孤独が増した。
そんなときにたまたまパソコンを親に買ってもらった。別に頼んだわけではない。父親がちょっと遅れた入学祝のようなつもりで買ってきたのだ。
 パソコンは楽しかった。人生で始めて夢中になれるものを見つけた。特にネットというものに塔子はハマッた。
孤独が埋まったような気がした。
だが、それが偽者であることにある日気付いた、……いや、本当はずっと知っていた。実生活ではいつまでたってもまったくと言っていいほど人と話せないのだ。入学当初はいつかきっと――なんて思っていたが、一年が過ぎ、一生そんなことは無理だと悟った。恐ろしいのだ。人が怖くて仕方ないのだ。
これから一生ビクビクとしながら生きていくことになるのだろう……、孤独のまま人生を終えるのだろう……、あの壮絶で悲しみを感じられないほどの苦しい暗黒の過去の思い出と共に……。そう思うと塔子はたまらなくなった。あのころ、凄惨ないじめを受けていたころは不思議と死という選択肢はなかった。しかし、この頃から明確に、そして頻繁に生と死の二択が目の前に現れだした。どんな苦しみよりも、孤独というものの方が生きるエネルギーを体から奪うのだと塔子は確信した。
 そんな時だった。隣のクラスの男子に声を掛けられたのだ。
「君は、死にたそうだな」
 その男子の第一声がこれだった。塔子はこの男の子が何でこんなことを言っているのかさっぱりわからなかった。しかし、
「はい」
 あっさりとこう答える自分がいた。自分でも驚くほど自然に言葉を発した。そして、計画を知らされた。もちろん計画に乗った。きっとそれが自分でもそれが最良の方法だと思っていたのだと気付いた。
 
そして今、塔子はそのとき声を掛けてきた男子、トーマの家の目の前にいる。
「入れよ」
 扉を開けながらトーマが振り返って言う。
「は、はい」
 同級生の家に上がるなんて何年ぶりだろう。恐ろしくなった。しかし、塔子は言われたことに逆らえるような構造で出来ていない。トーマの後に続いて家の中に入った。
 リビングに通された。唖然とした。信じられない光景が目に飛び込んできた。なんと三体の死体が食卓に座らされているのだ。
「死体を見るのは初めてか?」
「はい」
 驚きはしたが特に恐怖を感じない自分がいた。
“私もいつかこれになるのか……”
ただそう思った。
「まぁ、あんま気にするな。遅いか早いかだ」
トーマが冷蔵庫からビタミンXのビンを二本取り出し一本を塔子に渡しながら言った。塔子は思わず手を引いてしまう。
ガシャン。
トーマの手から離れたビンは血液がこびり付いたフローリングに落ちて音を立て割れた。
「おい、お前何やってんだよ? 床が汚れるだろ?」
「ご、ごめんなさい」
 そのビンでたくさん酷いことをされたことを思い出したのだ。塔子の体が震えだした。
「どうした? 何震えてるんだ?」
 死体のある部屋でのものとは思えない言葉だった。
「………」
 塔子はトーマの手にあるビタミンXのビンに見入ってしまい言葉が出ない。突然すぎたのだ。死体を見た衝撃の後というタイミングでなければきっと震えたりしなかっただろう。自分の感情を抑えることが出来ただろう。実際コンビニなどでそのビンを見ても震えたことなどないのだから。
「ん? このビンか?」
 塔子の視線に気付いたのかトーマが尋ねてきた。
 その質問に震えたままガクガクと首を縦に振る。こんなふうに塔子が感情を人に見せたのは塔子がいじめを受けて以来なかった。
「どうしてビンなんかが怖いんだ?」
 声の出ない塔子は震えながら今度は首を横にブルブルと振った。
「言わなきゃわかんないだろ? とりあえず深呼吸でもしてみろ。ちょっとは落ち着くだろう」
 言われたとおり深呼吸をしてみるが、震えは一向に治まる気配はない。
 そんな様子の塔子を見て当分返事が返ってこないだろうことを予期したトーマは割れたガラスを拾い集めだした。
 塔子はそれでさらに恐ろしくなった。酷いいじめを受けていたときに培ってしまった能力、相手の望むことをしていないと不安で不安で心臓が破裂しそうになり、相手が望むことをしろという指令がどこからともなく聞こえてきて、そして、オートマティックに体が反応するのだ。そうしなければもっと酷いことされる、……実際されてきた。
 塔子の口がギクシャクと開く。質問に答えなければ……。
しかし、自分の意思とは別の力でそれが閉じようとする。それでも必死に口を開いて声を出そうとする。ガチガチと歯がなる音が内側から鼓膜に響きわたる。そのときトーマが濡れた床を見て小さなため息をついた。
 そのため息で、鼓動の速さに拍車がかかる。自分の前にいる人がため息をつくとき、それは酷いことをされたり言われたりするときの前兆……。
「――わ、わたし!! そ、その!!」
 息も絶え絶えながらやっと出た声は驚くほど大きな声になってしまっていた。
 トーマが塔子の顔を見る。見られるとまた怖くなる。もう塔子は何もかもが怖いのだ。
「その、そのビンで、そのビンで……、そのビンで!!」
 暗黒の記憶が鮮明な映像で蘇る。男子の笑い声が聞こえたような気がした。涙が出てきた。
「そ、そのビンを……、あそことか、おしりの穴に入れられたりして――」
 初めて言った。こんなこと誰にも言ったことはなかった。こめかみの辺りが熱くなるのを感じる。そんなことをされていたということを初めて認めたのだろう。今まではどこか現実的ではなかったのかもしれない。だから平気だったのかもしれない。いや、平気じゃなかった……、平気なわけない。……もうわからない。
「――どうして……、ねぇ、どうしてそんな酷いことをするの? 私が何したの? 悪いことをしたの?」
 今までされた数々のことを認めると、どうにかなってしまいそうになった。悲しい、苦しい、悔しい、そんな負の感情が涙と共に際限なく溢れ出てくる。
「そんなことをされるほど、悪いことって何? やめてって言ったよ。だけど、そう言うたびに、笑われた。なんで? どうして笑うの? あそこにビンを入れられるのを拒否するのはおかしいことなの?」
 トーマがすっと立ち上がってじっと目を見てきた。
「気持ち悪いって何? なんで見た目が気持ち悪いってだけでこんなことをされるの? 醜いことは悪なの? なんで……? どうして……?」
 また言葉が出なくなった。今度の理由は精神的なものではなく、激しい嗚咽だ。
泣きながら拳を強く握る。悔しい……。今更悔しさがこみ上げてきた。そんな自分も情けなくてさらに悔しくなった。
「……なんでそんなことをされたか教えてやろうか?」
 トーマが言った。塔子は頷いた。
「それはな、お前がそういうことをされてきたからだ」
 塔子はその発言の意味がさっぱり理解できず、何も言わずにただトーマの目をそのまま見ている。
「いじめられている奴がいじめられるんだ。わかるか? いじめられる奴はある程度時間が経つと“いじめてもいい奴”に変わってくるんだよ。例えば――、そうだな、駅に放置してある自転車あるだろ? その籠に誰かがゴミを捨てる。そうすると、他の誰かがまたそこにゴミを捨てる。いつしか、そこはゴミを捨てていい場所になるんだ。そしてそれはゴミ箱と化して最後には自転車ごとゴミになるんだ」
「……でもどうして私がその自転車になったの?」
 必死に嗚咽を抑えて言う。
「きっかけは誰かがゴミを捨てたとかそんな小さなもんだ。きっとお前も、やった奴も覚えちゃいないだろう。お前はな、運が悪かったんだ。ただそれだけだ。それ以上でもそれ以下でもないんだ」
「……自分は悪くなくても運が悪いってだけで何もかもダメになっちゃうの?」
「あぁ、当然だろ? そういうもんなんだ。そんなことおまえ自身が一番わかっているだろう?」
「……そうだよね、私はもう取り返しつかないもんね……」
 塔子の涙はその“諦め”で止まった。悲しみが深く静かな絶望に変わるとなぜか安堵する自分がいた。長めの間を開けてトーマが言葉を発した。
「……なぁ、お前に酷いことやった連中で一番憎い奴いるか?」
 塔子の頭に一人の男子が浮かんだ。
「……うん」
 頭に浮かんだその顔が汚く笑った。
「そうか、それじゃそいつは俺が殺してやる」
「え?」
 その言葉にはっとなりトーマの表情から言葉の意味を探る。その表情は特別真剣なものというわけではなく、いたって普通だった。
「さっき言ったように、本当は自分でやらなきゃいけないんだけどな。誰にも優しくしてもらえなかったお前にだって一つぐらいこういうことがあってもいいだろう。俺からのほんの些細なプレゼントだ」
 そう言ってトーマが笑った。無機質でプラスチックみたいな笑顔だった。
「受け取ってもらえるかな? ……塔子」
塔子はすでにボロボロに泣いた後だったが、その言葉を聞いた後の涙は質が違っていた。人生で初めての嬉し涙だった。
「そのかわりといっちゃなんだが、ホームページだけじゃなく、この計画の他の面でも俺をサポートしてくれ」
 塔子は頷いた。
「おい、さっきも言っただろう? 返事はちゃんとしろって」
「うん、できるかぎりのことはする」
 涙ながらに言った。
「頼りにしてるぞ」
 トーマが肩にポンと手を置いた。塔子は生まれて初めてこんなふうに誰かに頼まれ、頼られた。それがどんなに嬉しかったことか……。
三体の死体のある部屋で小倉塔子は生まれて初めて優しい言葉を掛けられた。それがどんなに心を揺さぶったことか……。
両手で顔を覆い、血と、ビンの破片と、その中身の散乱した床に膝を突き、塔子はワンワンと泣き出した。

 ……そのせいでトーマがニヤニヤした笑顔をかみ殺していることに気付くことが出来なかった。

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