丈太郎先生が黒板の前に立ち連絡事項を皆に伝えている。帰りの学活だ。
今日の授業は全て終わった。ただ授業の内容はほとんど頭に入ってこなかった、……まぁ、それはいつものことだな。
黒板の前では丈太郎先生の話も終わりに向かっているようだ。
「え〜っと、そうだな。もう特にないな。あ、最後に、もうすぐ期末テストだからみんなそれなりに勉強するようにな!」
 丈太郎先生がかったるそうに言うと女子生徒の一人が、
「先生がそんなこというなんてらしくないね」
 こう返した。
「いや、別にやりたくなけりゃやんなくてもいいんだけどさ、でもな、お前らはちょっと勉強するだけで大学行けんだからやったほうがいいぞ?」
「そんなことはわかってますって」
 何人かがパラパラと似たようなことを言う。すると丈太郎先生は表情をいつもの冗談を言うときの真顔に変えた。
「いや、ちょっと待てよ。なんか俺が勉強しろとか言ってるみたいで嫌だな、よし、みんな勉強すんなよ。禁止だ。絶対すんなよな? ふぅ〜、危なかったぁ」
 丈太郎先生が手の甲で汗を拭う素振りをした。クラスが笑いに包まれる。
 いつもならこの手の丈太郎先生の言葉には率先してズバッと突っ込みを入れるのだが真由の事、幸介の事、この二つのことで精神が疲弊しきっているためそんな気が微塵も起きなかった。
 帰りの学活の終わりを告げるチャイムが鳴った早々に俺は“喫煙所”、つまり、例のトイレへと向かった。
 トイレに着くと迷わず大の個室に入ってタバコに火を点け便座に座る。どうしようもないくらい狭いとこで一人になりたかったんだ。
二口目を深呼吸みたい大きく吸い込んで、煙を吐き出す。その煙が俺の内面を表すかのようにもやっとした塊になり、どこかに消えるでもなく散り散りに分散しこの狭い個室に漂った。
 そんな中で三口目、ふぅ〜。
……なんだか疲れた。ここ数日間、ぼ〜っとする間がないほど真由と幸介の存在が相当俺の気持ちを揺さぶっている。幸介との接触は極力避けているのが現状だ。
ここまで悩む一番の原因は俺にある。それは重々承知している。そう、俺に答えが出ていないってことがいけないんだ。答えさえ出てれば何も迷う事はなくズバッと解決なはず。だけど答えといってもなぁ……。
なんて色々考えたりしているうちにタバコの火がフィルターすれすれまで来るほど短くなっていた。
「はぁ〜、なんだか相当面倒くさい事になってんじゃねぇか〜?」
 便座から立ち上がると俺はタバコを便器に投げ入れた。ジュッっと小気味のいい小さな音が聞こえた。俺はそれをティッシュと一緒に流しトイレを出て家に帰るため校門に向かった。
……ため息は治まらない。うん。そうだな。帰って寝よう。

 自宅のすぐ目の前に着くと、玄関に人影が見えた。目を凝らしてそれが誰か確かめた。
――!! 
情けない事に俺は心臓が止まるかと思った。
……その人影が幸介だったんだ。幸介には悪いが、正直、今会いたくない人間ナンバー1だ。……引き返そうか? そんな風にも一瞬だけ思ったけれど、自宅前で引き返すのも馬鹿らしいと思い直し、幸介に近づいていった。俺の存在に気付いた幸介が顔をこっちに向けた。
……目が腫れている。泣いてたんだろう。
「あ、勇一……」
 誰が聞いても情けないと感じるだろう声だった。
きっと真由のことを相談される。さっき真由が幸介に話があると告げただけで幸介は学校を早退したわけだし。……幸介は今それほど苦しいんだろう。
俺はその事に関してどう思えばいいのだろうか……。真由は幸介と別れる事を決心している。幸介にしてみればきっと身を切られるような思いだろう。そして真由は俺のことが好きだ。そして……俺は真由とキスをしたんだ。
全て俺のせいなのだろうか……。幸介がこんなにも苦しんでいるのは俺のせいなのだろうか……。だけど真由の中に俺の存在がなかったとしても真由は幸介と別れる気だったのは確かだ。いや、……違ったんだっけか? そういえば、真由の相談を受けていたときは俺の存在のことなんて聞いていなかった。……やはり、考えてもわからない。
とりあえず声を掛けた。
「どうした? 幸介、俺ん家の前でさ?」
 俺は白々しい奴だな……。
「あのさ、話聞いてもらいたくて……、帰り際なら問題ないかと思ってさ、だから待ってんだよね……、あ、あのさ、真由の事なんだけど……」
 話は予想通りで、当然俺はこの話をしたくなかった。だけど、無碍にするわけにもいかない。
「そっか、んじゃちょっと歩くか?」
冷静に冷静に。頭で言い聞かせながら、幸介と二人で歩き出した。そして、滅多に人の来ないあの公園の赤茶けたベンチに並んで座った。座るとすぐに幸介が口を開いた。
「……今日さ、真由に言われたんだ。話があるって。きっと良くない話だと思うんだ。勇一、真由と仲いいだろ? なんか聞いてないかな?」
「あっと、いや、なんつーか、ほら、そういうのは、もし聞いてても俺の口から言う話じゃないだろ?」
「やっぱり聞いてるの?」
勢いよく聞いてくる。幸介はどうしようもなく真由のことが好きなんだろう。
「いや、だからさ――」
「聞いてるなら教えてくれよ……、俺らマジやばいんだ……、頼むよ」
 幸介がすうっと涙を流した。幸介はよく泣く男だ。だからと言って嘘で泣いてるわけではない。心から辛いんだろう。
 そんな幸介を見ていると正直に言いたくなった。今、ここで真由とのことを言って、俺も真由が気になりだしていると言いたくなった。キスのことすら言ってしまいたい衝動に駆られた。
「幸介、あのな――」
 本当に喉まで言葉が出掛かった。
“私が言うから”
 真由の言葉が頭をよぎった。そうだ。真由と約束をしているんだった……。
「何? やっぱ聞いてるのか?」
「……いや、だから“もし聞いてても”って話だよ。俺は何も聞いてないって。さっきも言ったけど、やっぱ聞いてたとしても俺が言う事じゃないだろ? 付き合ってんのはお前らのわけだしさ。わかるか?」
 踏みとどまった。踏みとどまった理由は真由との約束があったから……だろうか、もしかしたら我が身がかわいいだけかもしれない……。俺ってこんな奴だったか? 幸介と話しているのに俺は自分のことで頭がいっぱいだ。
「うん、わかるけど、わかるんだけどさ……、勇一は俺の友達でしょ? だからさ」
「だけどな真由とも友達だし、ていうか、俺マジ何も知らないっての」
 ……俺は今完全に嘘を吐いている。
「じゃあ、聞いてもらうとか出来ないかな?」
 ……もう聞かないでくれよ。言えることは嘘しかないんだ。嘘を吐かせないでくれ。
「いや、ちょっと勘弁してくれよ。お前と真由の問題だろ?」
「そうだよね、ごめん。……あのさ、やっぱ別れ話だと思うかな?」
 ……なんだか腹が立ってきた。自分勝手な怒りすぎて反吐が出そうだ。
「……さぁ、知らねぇよ」
 言葉が少し乱暴になってしまっている。いったい何に対して腹が立っているのかはわからないが、とにかく胸のあたりがムカムカとしてきた。
「もし、別れ話だったらどうしよう……、俺きっと生きていけないよ。俺さ、勇一と会う前さ、友達って呼べる奴なんていなかったし、ずっと一人だった……、だからさ、人と話すのも未だに得意じゃないんだ」
「……そうなんだ」
 自分勝手な怒りだってのはわかってるけど、実際苛立ってるんだ。こんなこと言われたって優しい言葉なんてかけてやれない。
「……昔ね、うん、中学の頃、死ぬ事も考えた事があるんだ。俺が死んでも誰も傷つかないって思うと淋しすぎてさ……。いなくてもかわらないじゃないかって思ってて、でも、高校で勇一と会って、真由とも付き合えたわけじゃん? 本当に人生が変わったんだよ……、すごい楽しくなったんだ。でも、俺はさ、ダメな奴だから、きっと真由に辛い思いをさせてたんだと思う。頼りきってしまったんだと思う」
「……そう」
 俺はもうこの話が死ぬほど面倒くさくなって聞きたくなくなっている。しかし、幸介はまだ続ける。
「でもね、俺には悪気が合ったわけじゃないし、俺なりに頑張ってたんだよ……、努力してたんだ。俺は真由が大好きだし、辛い思いさせたくなかったし、それでも辛い思いさせちゃって、そのことだって苦しくて……」
「つまり、お前は悪くないと?」
 つい意地悪めいた言葉を言ってしまった。……俺の悪い癖だ。
「……どうだろ、でも悪気はないのは確かだよ」
「悪気がないなら一生治らないかもな?」
「――えっ?」
 俯いていた幸介が顔を上げた。
「幸介、お前な、ちょっと甘えすぎなんじゃないか? よく考えてみろよ。恋愛で起こる全ての嫌な事ってのは自己責任でしかないだろ? 例えば彼女が浮気したとしてもそれは自分に魅力がないってことだし、与えてあげるものが少なかったってことだろ?」
 なんだか自分が元々持っている考えを言っているはずなのに自己正当化をしているような気になってしまう。さらに気分が悪くなる。ゲロ吐きそうだ。
「いや、でも、浮気とかはどんなことがあっても許されることじゃないと思うな、俺は。誠実さがないとダメだと思ってるよ」
「いったい誠実さってなんのことだよ?」
「え? 相手に対してさ嘘吐かないとか、他の女の子と遊ばないとかかな?」
「なんだそれ? お前はさ“嘘吐かない”って、“正直に”って言いながら弱音を吐いてるだけだろ? きっと女からしたらそりゃ結構な不満がたまるんじゃないのか? 重荷になるんじゃないのか?」
 厳しい事を言う俺を幸介は不思議な顔をして見ている。
「それにな、きっと、自分なりに〜、だなんて誰だってやってんだよ。みんな、その上で弱音吐かないように頑張ってるんだぜ?」
「う〜んと、なんかよくわかんないけど、勇一は楽しければいいみたいな人だからね、やっぱ俺とは違うな。でも、なんかそういうのうらやましいよ。俺もそんな風になりたいな」
 幸介は少し笑って言った。……はっきり言ってカチンときた。
「は? お前何言ってんだよ、楽しければいいじゃなくてさ、楽しくなきゃ好きな女と一緒にいる資格がないと思ってるだけだよ俺は、わかるか?」
 自分の声が大きく震えていた。
「……ゆ、勇一? なんかあったの?」
 そんな俺の変化に気付いた幸介が言ってきた。そうだな、幸介にこんなこと言ってもどうしょうもないんだ。気持ちを抑えなければ。
「……あ、いや悪い、ちょっと個人的なことで機嫌が悪かったんだ」
「そうなんだ。ごめんね。そんなときにこんな相談しちゃって」
「いや、俺が悪いな。ごめん」
「ううん、俺は聞いてもらえただけで嬉しいから」
「そっか」
「んじゃ俺はそろそろ行くね」
「あぁ、んじゃ頑張れよ」
 ……何が頑張れだ。自分が嫌になる。
「ありがと、またね!」
 幸介は立ち上がり、去っていった。その背中を見ると、座り込んだはずの腹がまた立ってきた。適当なことを言う自分自身にだろうか? 確かにそれもあるだろう。でもあともう一つその理由が思い浮かんだ。それはきっと幸介があんな調子でいつでも真由に頼って苦しめていたということを改めて確認したからだ。
……待てよ、ということは、まさか俺は真由の事が……?
あまり考えすぎるのは止めよう、……いや、しっかり考えなきゃいけないんだっけか?
「あ〜、もう鬱陶しいなぁ!!」
 大きな声で言うと少し気が晴れた。とりあえず今日は木曜日だ。明日、真由は幸介に言うという。その結果を聞いてから考えよう。土日に家でじっくり考えればいいんだ。
ベンチに深く座りタバコに火を点けようとした、が、タバコは切れていた。俺は空になっていたタバコのケースをグシャリと握りつぶし、仕方ないから暫く途方にくれてみた。

□□□□

本当は今日、真由を誘って一緒に帰ろうと思っていた。そして、今までみたいに楽しい日々を取り戻そうと心に決めていた。……だけど、二時間目と三時間目の間に真由は俺に話があると告げてきた。その顔は明らかにそれが“別れ話”だと物語っていた。大好きな真由の顔なのに見ているだけで内臓がグルグルとかき混ぜられるかのような錯覚に陥った。そのときは「うん、わかった」なんて言ったけど、当然俺はそんな話は死んでも聞きたくなかった。だから、具合が悪いと嘘を吐いて学校を早退した。いや、あながちそれだって嘘とは言い切れない。なにしろ悲しさや恐ろしさで心臓がねじり切られるように痛かったのだから。
でも家に一人でいても嫌な方向にばかり考えてしまい涙が出てくるばかりだった。だから、勇一の家の前で待って話を聞いてもらった。もはや俺には勇一しか頼れる人はいなかった。でも、勇一も俺のことをあまりわかってくれていないようだった。きっとこんなにも辛い気持ちは味わった事がないからわからないだろう。
……このまま俺と真由は終わってしまうのだろうか、……最後になんて言われるのだろうか、……嫌だ、終わりたくない、終わらせない。だけどそのために何をどうすればいいのだろうか……。わかんない。わかんないよ、でも、嫌なんだ……。それだけは絶対嫌なんだ。
とりとめのない思いが頭の中で目まぐるしく交差する。気が狂いそう。
そして当然の如くなんの答えも出ないまま家に着いてしまった。
ドアを開け家の中に入る。
「おかえりなさい。遅かったのね」
母親が出迎え声を掛けてきた。
「ああ」
母親は大嫌いだ。何かにつけて干渉してくるくせに、いざって時は何もしてくれないんだ。はっきり言って役立たず以外の何者でもない。
靴を乱暴に脱ぎ捨て二階にある自分の部屋へと直行した。玄関で母親が俺の脱いだ靴をげた箱にしまっているのを背中で感じる。こういう恩着せがましいところも嫌いだ。
部屋に入るやいなや、電気なんか点けずに、まず最近買ってもらったばかりの新品のパソコンを立ち上げた。ブーンという低い音と共に小さな機械的な音を立てパソコンの画面がカーテンを締め切った暗い部屋をぼやっと照らす。壁紙は三ヶ月前真由と二人で顔をくっつけて撮った画像だ。このころは本当に楽しかった。
……こんな状況が来るだなんて微塵も考えた事はなかった。
あぁ、真由真由…真由……。ダメだ……、早くしないと……。
俺は飛び込むようにパソコンの前に座り、パソコンをインターネットに接続する。そして、“お気に入り”をクリックして、画面の左側にいくつかのページのタイトルを出した。その一番下にあるページのタイトルをクリックする。
画面が切り替わる。真っ黒の画面。
月のない夜のように真っ暗な画面にフラッシュムービーで幾筋もの白い流れ星が流れる。やがてその流れ星が増えていき、画面が流れ星の光で真っ白になった。普段だったら大好きな画面だ。……でも今の俺には、この画面すらわずらわしい。
……早く俺を安心させてくれ。
早く!
……苦しいのは嫌だよ。
真っ白い画面の中に黒色の文字が右側から流れてきた。

“君たちは流れ星が好きか?”

その文字も消え、中心にぼやっと赤い文字が浮き出てくる。

“シューティングスターシンドローム”

大きくそう表示された。これがこのホームページの名前。俺の精神安定剤とでも言うべきサイト。いわば安全装置。
あぁ、シューティングスターシンドローム……、そしてその中のみんな、純粋すぎる俺の本当の気持ちを、辛さをわかってくれるのは俺と同じように純粋すぎるあなたたちだけだよ。もし全てがダメになっても出来ることが一つあると思わせて安心させてくれ……。
エンターをクリックした。
 画面が切り替わる。

□□□□

 空は最近の快晴が嘘みたいにどんよりと重たい雲に覆われている。今にも雨が降り出してしまいそう。……嫌な天気。
私は大きな国立公園の池の前の木で出来た柵に腰掛けて、コー君を待っている。私はこの公園が大好き。天気が良ければこの池はキラキラと光を反射させとても綺麗で見ているだけでウキウキとした気分にしてくれる。勇一は人気のない公園が好きみたいだけど、私は休日に恋人同士の男女や家族で賑わうこの公園が大好きだ。周りに人がたくさんいると孤独が少し薄れる。寂しいときなんかはよくここに来る。
……私は今からコー君に別れを告げる。
昨日一日、ちゃんと考えた。でも、考えは全く変わらない。コー君との先はやっぱり見えなかった。この前ハンバーガー屋で勇一に言われた通り、私はコー君のことが好きではないのだと思う。ただ、現在の状況に変化が起きるのが怖かっただけだったのだ。
いったいなんて言えばいいのかな……。未だに私は決めかねている。結局どう言おうか決まらないままコー君を呼び出してしまった。でも、私は今日言うって決めたんだ。
……そうだよ、全部言おう。正直に言うしかないんだ。そう思ったとき、私の足元に影が伸びてきた。
「……ま、真由?」
 コー君の声だ。顔を上げて確かめる。元気のない顔のコー君が立っていた。
「……ごめんね、急に呼び出しちゃってさ」
「ううん、構わないよ。俺、真由と会えるの嬉しいし」
 コー君が偽物の笑顔で言った。私は何も言えなかった。
「……隣、座っていい?」
「うん……」
 コー君が遠慮気味に少し距離を開け私の隣に座った。二人とも黙った。テレビドラマの別れのシーンの定番ってくらいの間が開く。
……私から言わなきゃ。
「……あ、あのね、……私、コー君と別れたいんだ」
 フレッシュジュースを作り終えた後の果物のカスからさらに、ジュースを搾り出すように声を出した。コー君の顔を見ることなんて出来ない。
「……どうして?」
 震えた声が返ってきた。
「……コー君はさ、私と一緒にいないほうがいいと思うんだ。だからさ……」
「何それ? なに勝手な事言ってんだよ……、俺は真由といたいよ? 真由と一緒のがいいに決まってるじゃん」
「だってコー君どんどん弱くなってっちゃうし……、ごめん。それだけじゃないね。私、疲れちゃったよ。コー君が元気になるために色々頑張ったけどさ……、もう……頑張れない」
「別に頑張んなくていいから……、そんなこと言わないでよ」
「……それにね、最近はさ、気持ちがあるのかも疑わしくて、こんな状況じゃ私……、付き合っていけないんだ」
 私たちは相変わらず目を合わせない。
「……嫌だよ、嫌だ」
 音になるかどうかのギリギリの声だった。
「……ごめんね」
 言った瞬間、コー君に抱き寄せられた。
「――ちょ、やめて!」
「――嫌だよ! 俺頑張るから、すごい頑張るから。俺真由じゃないとダメなんだよ。頼むよ。真由がいなくなったら俺……、真由じゃないと駄目なんだよ! 嫌なんだ!」
 コー君は泣き出した。コー君は私のことを本当に、心から愛してくれているんだな。でも駄目なの、……もう駄目なの。
 私は力いっぱいもがいてコー君の腕から逃れた。コー君はそれがショックだったみたいで、無罪の被告が死刑判決を受けたかのような……、そんな顔をしている。
「……真由、どうしても駄目なの?」
 コー君の目から大きな涙が一筋流れた。
ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんね。駄目なんだよ、私はコー君じゃ駄目なんだよ。
「……うん。あとね、……好きな人がいるの。コー君よりも好きな人が……」
「……そ、そんな、それは誰なの?」
 コー君はどんな顔してるんだろう……、見れない。
「……でも、違うの、それが理由じゃないの……」
「ま、真由……、泣かないでよ」
 私は卑怯な女だ。こんなときに涙なんか流してしまっている。……最低女だ。
「……ごめん、ごめんね、コー君」
「……わかった。別れるのはわかったよ。だから泣かないで。……でも諦めるのは無理だよ。……あのさ、こういうのはダメかな。もし俺がこれから強く変われたら、今よりもずっと強く変われたらさ、そのときはもう一度真由にぶつかっていきたいんだ。だから、またメールしたりしてもいいかな?」
 涙で声が出ない私はこくっと頷く事しかできなかった。コー君が立ち上がった。
「うん、じゃあ俺もう行くからさ。だから泣かないで。でも最後にこれだけは言わせて。俺は真由が好きだから、それだけは誰にも負けないから」
 コー君は私の前から走り去っていった。
 勇一の事を言わなきゃと思ったけど呼び止める声が出なかった。
……コー君は情けなくて、ずるくて弱っちい男の子だった。でも、優しくて、私のことを本当に愛してくれた。こんな卑怯な私のことを……。
でも、でも、私はもうどうしょうもないくらい勇一が好きなんだ。
コー君のことが目に入らないくらい好きなんだよ。
ごめんねコー君。本当にごめんなさい。
……さよなら。

次へ


戻る