草間充はトーマの自宅近くにある丘の上で一ミリたりとも動かずにジッとしている。表情は誰が見ても一目でわかるほど不安、それ一色であった。。
今朝、草間が学校に着くと靴箱に一通の手紙が入っていた。手紙の内容は草間にとって最悪なものだった。

“クサマミツル、あなたの母親はお前がドラッグを売っているという事実を知っていますか? きっと知らないでしょう。でも私は知っています。親や警察に知られたくはないでしょう? 私は今非常にお金に困っているのです。五万円。初回はそれだけでいいでしょう○○の丘に四時に持ってきてください。もちろん一人でお願いします。私のほうは代理人に行かせますので、あなたにとっても一人のほうがいいのはおわかりでしょう。それでは、またあとでお会いしましょう”

 そんな文面の短い手紙と一緒に写真が数枚同封されていた。その現場を押さえた証拠写真だった。
いったい誰が……? どうして? どうやって……? 今日の授業中もそんな事ばかりが頭を駆け巡っていた。
草間がドラッグのバイヤーまがいの事をしているのは自主的な行為でなかった。中学のころの仲間とつるんでいるうちにこんな状況になってしまっていたのだった。中学のときの仲間、つまり塔子をいじめていた連中はヤクザとまで付き合い出すほど本格的な悪の道に染まっていた。草間自信そこまでの悪ではないのだが、そいつらが恐ろしくて逆らえないでいるうちにここまで事態が悪化してしまったということだった。
今日のことだって初めは仲間に相談しようと思った。しかし、この手紙はうまく出来ていた。もし、誰かを連れて行けば、代理人のことはなんとかなっても、主犯によってドラッグのことが明るみになるだろう。そうなれば草間は一貫の終わりだ。親にばれ、警察に捕まり、仲間にも何されるかわからない。そして、その裏に待ち構えているヤクザにも。今の自分のポジションからいってきっと誰も自分の味方なんてしてくれるはずないだろう。結局一人で行くしかなかった。
時計を見ると四時を回っていた。そのとき視界に丘の下から上がってくる頭が見えた。
誰だ?  いったい誰が俺を呼んだんだ……。
顔が見えた。しかし遠くてその造形までは判断がつかない。
肩口が見えた。制服を着ているようだ。だけど歩みが遅くなかなか近づいてこない。
誰だ? 誰なんだ? 落ち着かない時間がどれだけ続いただろうか、ある程度近づいたたそれの姿形がようやく確認できた。
のっぺりとした長い髪、丸い顔、にきび。
……小倉だ、小倉塔子だ! あいつが? あいつが俺を脅したのか……。
草間がそう思っている間にも塔子はどんどんと近づいてくる。
「なんだよ! てめーかよ、脅かしやがってよ!!」
威嚇するような発言のわりに声がうわずっていた。
……本当は怖いのだ。
草間は確かに塔子に対して酷いいじめを行っていた。いじめと呼べるようなものではないところにまで及んでいたのは自分でもわかっていた。しかし、草間は当時から怖かったのだ。
塔子の次には自分がやられるかもしれない。……周りの目が怖かった。
塔子が自分のせいで自殺してしまうかもしれない。……塔子のことも怖かった。
そして、いつかこいつがなんらかの形で自分に復讐しに来るかもしれない。夜寝るまえにたまにそんなことを考えるときがあった。……そうやって考えてまう夜は体が震えだし眠れなくなることもあった。
今、その目的を果たさんがためであろう、その小倉塔子が自分の目の前に立っている。
「なんだよ、何黙ってんだよ! てめーに出す金なんかねぇよ! おら、写真早く返せ!」
いくら大声で怒鳴ってみても目の前の塔子は全くしゃべらず俯いているだけだった。
「な、なんだよ……、なんか文句でもあんのか?」
すごんで言うが塔子はしゃべらない。……それが怖かった。
何をされるかわからない。自分はこいつにそれだけのことをしてきた……。やってはいけないことをやってきたと思う。だけど、だけど、俺だって……、俺だって怖かったんだ。俺だって被害者と言ってもいいくらいだ。心がぐるぐるとかき混ぜられるかのように、ざわめいてきた。草間はさらに声を荒げた。
「おい!! なんだよ! なんかしゃべれよ! このブスが!」
 塔子は微動だにしない。
「なんだよ……? なんだってんだよ」
草間の声が少し震えた。
塔子の口がゆっくりと動いた。
「……草間君」
「な、なんだよ?」
塔子が顔を上げた。
「――死んじゃえ」
 草間はその言葉に心臓を凍りつかせ、目を閉じ、体を硬くした。

 ………………?

しかし暫く経っても何も起きない。ゆっくりと目を開けてみた。すると塔子はまた黙って俯いているだけだった。
「――は? そんなこと言いに来たのか?」
 特に怪しい様子もない。正直拍子抜けだった。刺されたりでもするのではないか、そんなことを考えていた草間は安心と共に笑みが溢れてきた。
「はは、なんだお前、それだけか? ははは、なんだよビビらせやがってよ。馬鹿じゃねぇ…うっ――」
背中にドンと何かがぶつかった。振り返ると見たこともない男が立っていた。どことなく透明な印象を受ける男だ。
「やあ」
 その男がプラスチックみたいな笑顔で挨拶をしてきた。
「塔子、どうだ? このプレゼントは気入ったか?」
誰だこいつは……?
「……まだよくわからない」
自分を挟んで交わされるこの二人の会話の内容は草間には皆目、見当もつかない。
あ、あれ?
その時、草間は足下の違和感に気付いた。自分の足下だけが他の場所よりも圧倒的に赤いのだ。
背中を触ってみた。濡れている。
前に立つ男の右手を見た。刃渡りの長いナイフを持っている。そして、そのナイフには赤い液体が付着していてヌラヌラと光っていた。

■■■■

塔子はただただその一部始終を見ていただけだった。
トーマは草間の背中を刺した後、笑いながら「やあ」なんて言って、塔子に語りかけた。そして短い会話をして、その後は草間の喉笛を掻っ捌き、間髪入れず、その胸にナイフを突き刺した。そのとき草間は塔子の方に振り返った。きっと逃げようだなんて考えたのだろう。しかし、次の瞬間、塔子は草間の腹部から銀色に光るナイフがまるで生み出されるかのように突き出てきたのを確認した。トーマが後ろから刺したのだ。草間は立ち止まり口から血をゴボゴボと吐き、喉からひゅうひゅうと空気を漏らしながら、パクパクと口を動かした。
塔子にはそれが何を言っているのか瞬時に読み取る事が出来た。
“タ・ス・ケ・テ”その繰り返しだった。
そして膝から崩れ落ち、前のめりに音もなく倒れた。
凄惨な光景だった。しかし、塔子の目に最も印象深く焼きついたのはその後ろで返り血を浴びながら笑顔で佇むトーマだった。
普段は無機質なプラスチックとでもいうような印象だったが、夕日に照らされ、淡々と殺人を犯したトーマはなぜか神々しく優雅に見えた。
「さて、終わったが感想は?」
 トーマは両手を広げ塔子の顔を見つめてきた。逆光で表情を読み取る事は出来ない。
「……」
塔子の頬から涙が一筋流れた。
「何を泣いてる?」
「……」
「怖いのか? 後悔したのか?」
「……違う。嬉しいの。きっと人間として最低だと思うけど、私、心から嬉しいの……、私のためにここまでしてくれる人がいるだなんて……」
塔子は恋をした。死体をはさんで返り血に濡れながら佇む、四人目を殺したばかりの殺人鬼の同級生に心を奪われた。
トーマは広げていた両腕でまるで大きな荷物を持つかのように何もない空中を抱えた。そして、その抱えた空中を塔子に渡すかのようにゆっくりと差し出した。
「それはよかった。ハッピーバースデイ」
 今日は塔子の十七歳の誕生日だった。
小倉塔子は「集団自殺クラブ“シューティングスターシンドローム”」の直前に本気で人を愛してしまった。

■■■■

実に簡単だった。例えば草間が他に誰か連れてきたり、待ち合わせ場所に来なかったりと予想外のことが起きたとしてもトーマはその後の対応策をいくつも考えていた。しかし、一連の全ては予想外どころかトーマの思い描いていたシナリオをただなぞるだけだった。
草間を刺し殺したトーマはあらかじめすぐ近くに掘っておいた穴にその死体を投げ入れ、土を被せた。そして、返り血の付いた洋服をその場で着替え、丘を降り塔子を連れて家に帰った。
草間に関してはもちろんそうだが、塔子の反応も予想通りだった。
トーマは塔子に精神的な“ムラ”を感じていた。話を聞く限りでは今まで生きてこられたのが不思議なくらいの酷いいじめにあっているはずなのだが、塔子自信の性根が曲がっていないことに多少の不安があったのだ。曲がっていないことがムラとはおかしな話だとは思うだろうが、トーマにしたら、曲がっていて、全てを諦めて、恨んで、憎んで、淋しくて、悲しんでいるような人間のほうが都合よかったのだ。
なぜなら、集団自殺クラブ“シューティングスターシンドローム”とは輪条高校の屋上から何十人もの人間が横一列に並び、次々に飛び降り自殺をしていくということを行うために作ったものだからだ。先ほどの条件のほうが都合がいい一番の要因は、その本番直前には各々が誰か恨んでいる人間を殺す、という前提条件があるからだった。
ただ、殺人を犯すという前提条件はトーマにとっては大きな意味を持っているわけではない。トーマがこれを条件に入れたのには二つの理由があった。
一つはそこまでの覚悟と歪みを兼備えた者にしかこの計画が務まらない、という理由。もう一つは、殺人によって逃げ場が無くなりさらに覚悟ができるであろう、という理由だ。実際トーマはそういう要素のある奴ばかりを選んだ。しかし、塔子の恨みは思ったよりも浅かったのだ。基本的には優しい人間の部類に入ってしまうのだろう。誰かを恨んだりしないタイプだったのだ。
基本的に優しい人間だという事がもしかしたらこの計画になにかしらの罪悪感を感じ、ヘタをしたら計画前に塔子が辞めてしまうかもしれないと危惧していたのだ。別に塔子一人がこの集団自殺を辞めてしまうということ自体は、それ程問題なかったのだが、現在ホームページに関して全てを取り仕切っている塔子にページ上でこの計画の全て暴露されてしまうと、計画が頓挫しかねない。些細な可能性すら残すわけにはいかないと思い、シューティングスターシンドロームの前日にやるべきことを多少無理してでも日にちを前のりして行ったのだ。
目の前で殺す事によって罪悪感を持たせ、誕生日に合わせたことにより、狂信的に自分を信じさせたのだ。

「さて、それじゃお前は帰ったら皆にメールをしてくれ。文面はこれで」
 ベッドに腰掛けるトーマは目の前で立っている塔子に紙切れを一枚手渡した。
“八月一日、私立輪条大学付属高等学校屋上にて決行、八時半に輪条高校の前に集合”
内容のみのえらく事務的な文面だった。場所に輪条高校を選んだ理由、それはトーマがそこの生徒だからと言うわけではなかった。その理由の最たるものは建物自体の高さ、そして、屋上の構造だ。輪条高校の屋上にはメンバー全員が一列に並んで飛び降りられるほどの長さがあり、しかも、このあたりでは一番高い建造物だったからだ。
「あと右田に俺のところに連絡するように言っといてくれるか?」
「……うん」
「それでは、早く皆にメールしてくれ、俺たちの四十一人の仲間に。少しでも早いほうがいいだろう?」
「……うん、わかった」
 塔子は答えるとすぐにトーマの顔を見もしないで帰っていった。いつにもまして覇気のない塔子を見ると妙な予感はしたが、人を殺すところを見たばかりだからだろうという結論に至った。いや、本当のところはそんなことを深く考える余裕がなかったのだ。
 部屋で一人になった瞬間トーマは歓喜で震えてしまいそうな全身を両腕で抱きしめ、必死で震えを止めていた。
もうすぐなんだ……、貯めるんだ。興奮を貯めて本番にぶつけるのだ。
 トーマは毛穴の全てから漏れ出してきてしまいそうなほどの興奮を体内に留めようと必死だった。
 しかし、いったいトーマはなぜ集団自殺クラブ“シューティングスターシンドローム”なるものを作ったのだろうか? そしていったいどうして自殺をするのか……?
それは端的言えばもう飽きてしまったから、生きる事に飽きてしまったからということだった。しかしそれだけなら別にこんな大掛かりなことをする必要はないだろう。
トーマのここに到るまでの思いをなぞってみよう。
子供の頃から何もかもが退屈すぎたトーマは、人間の壊れるさまを見て楽しむ自分を知ってから、人生を楽しむということを覚えた。友里を使った家族崩壊の過程はトーマをビリビリとしびれさせた。しかし、それは同時に“最高に楽しくてもこの程度か……”とトーマに気付かせるきっかけにもなってしまったのだった。
家族の狼狽に飽き始めたときに、流れ星に心を打たれる自分を発見した。不思議だった。本当に不思議だった。いったい流れ星の何が自分の心をこんなにも打つのだろうか。今までにこんな事はなかった。必死で考えてみた。
流れ星について調べてみた。
しかし、流れ星の最高温度や、地球上に落下した隕石がどんな物質で構成されているかなど、科学的な側面からその理由を探ってみても自分の心を打つようなものは見当たらなかった。宗教的なことや、三度願いを賭けると願いが叶うとかいうおまじない的なものまで調べた。しかし、答えは出なかった。
だからトーマはシンプルに考えてみた。極シンプルに。
例えば、子供が野球選手を見て心を打たれる、アイドルやミュージシャンを見て心を打たれる。それは憧れだ。つまり自分は流れ星に憧れているのではないか? 
――ということは……。
 ある一つの仮説が浮かんだ。
 流れ星とは地球の周りの大気圏に小さな星が飛び込み消滅するさまだ。つまり、星々が消え去るさまのことだ。
消え去る……、存在がなくなる。それは人間で言えば“死”である。
……もしかしたら自分は死にたいのではないか? 
トーマ自身安直過ぎる考えだと思ったが、いくら考えてみてもこれ以外にそれなりの原因が見当たらなかった。だからトーマは試してみる事にした。自殺してみようと考えた。生きる事にはちょうど飽き飽きしていた。都合が良かった。
どうせ、やるならクールにそして美しくやるべきだと考えた。丘の上で流れ星を見ながら方法を考える日々がしばらく続いた。そして、何十年に一度の流れ星が多い日、トーマは“シューティングスターシンドローム”を思いついたのだ。思いついてから確信した。“これしかない”と。“やはり自分は流れ星になりたかったのだ”と。
自分が集めた自殺志願者たちと共に大勢で流れ星となり高い建物から次々と飛び立っていく。目を閉じると浮かぶその光景、頭のてっぺんからつま先に至るまで体の全てに鳥肌が立った。
しかし、一つだけ気になっていた事があった。それは自分は人間が内面から壊れていくのを見るのがたまらなく好きだったが直接手を下して殺人を犯すということをあまり考えた事がなかったということだ。
それで家族を全員殺してみた。やはり特に何も感じなかった。
シューティングシンドロームで自殺志願者を集めるためにトーマが作った文章には、必ず二つの文章が入っていた。
「僕たちは仲間だ。同じ苦しみを味わった同志だ。最後まで一緒だ」
一つ目はそれだった。それは一人じゃないと思わせる事、それと同時に二度と孤独を感じたくないと思わせる事を目的としていた。
次に信用がおけると判断したものにはこんなメールを送った。
「しかし、ただ一緒に死ぬだけでは同志と呼べるほどの関係が僕たちに築けるでしょうか? 決行する前になにか大きなことをしようではないか! 僕は家族を殺した。あなただって“こいつさえいなければ”という人間の一人や二人はいるでしょう?」
 秘密の共有。そして罪の意識の分散、なおかつ、殺しても自殺するため捕まることなどない。死ぬ事より捕まる事の方が嫌だということをトーマは当然だと考えていて、多くの自殺志願者達もそう考えていた。
事実トーマが選んだ人たちはそれを実践して見せた。

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