主催者サイド・4


目を醒ました瞬間トーマは目に映る全ての物がいつもと、どこか違っていることに気付いた。もちろん回りのもの全てが一夜にして変化するなんてことはありえない。違って見える原因はトーマにあった。
今日は八月一日、シューティングスターシンドローム決行の日。
最後の光景、全てがもう二度と見ることのできないもの、二度と感じることのできないもの、そう思うと世界がどこか違って見えたのだ。だが、トーマが感じたのはその程度で、世界が違って見えたからどうこうってことはまったく考えなかった。元々周りの世界なんてものはトーマには関係なく、たいした興味もないのだ。
トーマはいつもと同じ調子で支度を済ませ、いつもと変わらぬ朝食を取り、決行の場所、私立輪条高校へと向かった。
唯一、違うところがあった。それはトーマの足取りが幾分軽やかであるということだけだった。

■■■■

塔子は結局、両親の顔を一度としてまともに見ることができないまま家を出てしまった。最後に交わした会話は“どこ行くの?”それに対して“友達の家”そんな、そっぽを向きながらの嘘だった。
塔子は今まで友達を一度も家に連れていったことはなかった。もちろん理由は友達なんていなかったから……。それでも、友達がいないなんて両親に知られたら気の毒だと思い、両親にそう思わせないために塔子は友達の家に行ってくると嘘を吐き、月に何度かは公園や河原に一人で出かけ、数時間もそこにただ座っていた。学校帰りにわざと遅く帰ることもあった。食卓で、いもしない友達の話をたまにすることもあった。嘘を吐いて親を騙す事も、そんなことをしなければならない事も、どちらも悲しかった。
試験前が嬉しかった。勉強を理由に家に籠もれた。親に嘘を吐かずにすんだ。今思えば嘘を吐かずに生きていたらこんなことにはならなかったかもしれない。
塔子はこれから自殺をしてしまうことに対してやはり罪悪感があった。自殺そのものにも、もちろんそれは付きまとっているが、やはり育ててくれた両親に対しての罪悪感が大きい。塔子の両親にしたら自殺する理由すらわからないだろう。なにしろ、いじめられていた事実すら知らないのだから。でも、もう戻ることはできない。いくら強い罪悪感が塔子を責め立てようと暗黒の記憶は消える事はなく、仮に記憶が消えたとしても体が他人を、生きる事を否定するだろう。……それに、トーマに草間を殺してもらった。
……戻れるはずがない。
そう思ったとき、塔子は自分の考えにどこか違和感を覚えた。この違和感の正体はなんだろう、考え込みながら学校に向かう。
横断歩道を渡っているとき、ちょうど白線の三本目に右足がかかったときだった。塔子はハッとなり立ち止まった。気付いたのだ。
“……私は死にたくないと思っている”
塔子にとってそれは青天の霹靂だった。自分の脳や体が生を否定しているにも関わらず、心という部位が生を望んでいることに気付いたのだ。自分が生きていけるはずないという判断はどうしたって覆るはずがなかったはずだ。それなのにいったいどうして……? 
頭の中にそんな疑問符を浮かべてみた瞬間にある映像が浮かんだ。
夕日に照らされ両手を差し出すトーマだった。
クラクションが耳をつんざくように鳴り響いた。信号は赤に変わっていた。塔子は心で体を引きずるようにクラクションがけたたましく鳴り響く横断歩道をゆっくりと渡った。
本当は気付いていたのかもしれない。わかっていたのかもしれない。トーマが好きなのだ。トーマと生きていきたいのだ。
トーマが側に居続けてくれさえすれば生きていけることに気付いたのだ。暗黒の過去など優しい未来が覆い隠してくれるかもしれないと思い始めていたのだ。
横断歩道を抜けだした塔子は頭を抱えてうずくまった。
“トーマと生きたい……”
切にそう思った。
“止めよう……、トーマを止めよう”
塔子は顔を上げた。
“力づくでもなんでもいい。止めて全部やり直そう”
誓った。
すると、全身に力がみなぎってきた。まっすぐ立ち上がり力強く歩き出した。
塔子はこんなにも能動的な考えを持てた自分に戸惑いを感じたが同時にそんな自分を好きになれそうな気がした。
トーマに出会ってから初めてのことばかりが起こる。きっとこれが恋なのだろう。トーマは私が“やめよう”と言ったらこのシューティングスターシンドロームという流れ星に見立てた集団飛び降り自殺を止めてくれるだろうか……。きっと簡単にはいかないだろう。でも、トーマがどうとか、そんなことは私が考える事ではないんだ。私は何があってもトーマとみんなを止めるんだ。
一筋の光が見えた気がした。
しかし、そんな前向きな思考は二歩しかもたなかった。
……トーマは人を殺している。しかも四人も。
頭に浮かんだその事実は突然のスコールのように一瞬でその光をかき消し、世界を乱した。しかし、塔子はそのスコールの中でも歩みを止める事はなく、光の見える場所、打開策を必死に探した。
……草間のことは私の犯行ということにすればいい。きっとそれは容易に出来るだろう。しかし、家族の事はいったいどうすればいいのだろうか……。しかも、他の人たちもきっと似たような犯行をおかしている。止める事は不可能かもしれない……。
雨は止まず光は見えなかった。しかし、一つだけ自分がするべきことは見えた。
“トーマだけは……、トーマだけは何としても止めよう”
 それだけは決める事が出来た。

塔子が輪条高校に着くとそこにはもうすでに数十人のシューティングスター達が集まっていた。年も性別も何もかもバラバラな集団で、皆、深刻でいて興奮したような表情をしている。先入観を廃しても異様な集団に映ることだろう。
その中心には当然トーマがいた。塔子もその輪の中に入った。
「塔子、遅かったな」
トーマが塔子の存在に気付き声を掛けてきた。塔子は何も言わなかった。塔子の中ではいかにしてトーマを止めるか、その一点しかなかったからだ。慎重にトーマの様子を伺う。
……何か突破口はないだろうか。
「これで皆揃った。ほとんどの人が俺と会うのも初めてだろう。俺がこのシューティングスターシンドロームの発案者のトーマというものだ」
 シューティングスターたちからよろしく、だの、初めましてだのそんな声が返る。
「こちらこそよろしく。さて、早速屋上に行こうと思うのだが、今日はどの部活もないと言っても、人が一人も居ないわけではない。用務員が一人、そして事務のおばさんが一人、合計二人まだこの校舎の中にいる――」
 塔子にはトーマのこの発言が何を意味しているのか瞬時に理解できた。やはりトーマを止めるなんてことは無理なのかもしれない……。
「――そこでだ。この二人には大変悪いのだが、殺す事にしようと思う。シューティングスターシンドロームの完璧な遂行のために」
 淡々とそう語るトーマに塔子の周りの皆が一様に頷いている。
「誰にやってもらおうか……、いや、用務員の右田さんに関してはもう決まっていて、息子の右田次郎君にやってもらう。なぁ右田?」
「はい」
 トーマの言葉に深く頷いた右田次郎は十五歳の中学三年生だ。塔子は右田とネットだけではなくトーマと一緒にオフで直接会った事があった。
右田がどうしても会いたいと言い出したのだ。
 右田は現在進行形でいじめられていた。やられている事は塔子の過去と同じくらいのレベルの酷いものであった。右田の気持ちや言い分が塔子には痛いほど理解できた。しかし、右田と塔子は根本的な“何か”が違っていた。右田はこの計画の特に復讐という部分、つまり自殺する前に誰かを殺すだとか、自殺の理由を連ねる文章でいじめた奴に復讐するという部分が気に入っていたようだ。そして、本番前の復讐の対象に自分の父親を選んだ。右田の父親は一般的にいう“悪い父親”ではなかった。極普通の父親だ。しかし、右田は自分をこんな風に育ててきた父親が悪いという発想にいたった。そんな幼く歪んだ考えを持っている右田をトーマが気に入っていたのを塔子は知っていた。
「それでは事務のおばさんは誰が殺ろうか? 別に俺が殺ってもかまわないんだが、誰か殺りたい人はいるかい?」
 手を挙げたのは、二十台後半のOL風の女性二人だった。
「えーと、串田さんと、三枝さんだったっけ?」
 二人が頷く。塔子はトーマを観察するが全く隙はなかった。止める具体的な手立てが見当たらない。
「それでは、二人でやってもらうという形でいいかな?」
 二人とも頷いた。
「よし、行こう」
 トーマを先頭に自殺集団が校内に入っていった。塔子もそれに続いた。
「なんですか、あなたたちは?」
 事務室の前を通ると四十台半ばくらいのおばさんがこの集団を見て大きな声で騒ぎ出した。トーマは歩調を緩める事などなく、スタスタと事務所のドアを開けて中に入った。そして、おばさんの口を手で塞ぐ。
「さぁ、串田さん、そこにあるガムテープでこの人の口をぐるぐる巻きにしてやってくれ」
 串田という背の高い女性がその通りにした。
 その後にドアの隙間越しに塔子が見たのは、おばさんの首に縄をかけ、両側から二人の女性が綱引きみたいに引っ張る光景だった。
ギリギリと音が聞こえてくるようだった。おばさんはじたばたと暴れる。……足が竦んだ。
信じれられないくらい首が細くなった。おばさんの手が自分の首を掻き毟る。……人が殺されている。草間のときは感じなかった恐怖が塔子を襲う。
おばさんの舌が、目玉が、涙が飛び出してきた。そして、完全なる脱力。まるで体中の骨が消え去ったかのようにおばさんは力尽きた。
 事務室から三人で出てきた。
「さぁ、この二人に盛大な拍手を」
 トーマが両手を広げる。周りの人たちが拍手をする。
……おかしい、この人たちは頭がおかしい。ただ、草間のときに同様の行為を犯したトーマを見た時にはトーマが美しく見えたのを思い出した。私はきっとこんな人たちと一緒だったんだ。生きていくなんてできるのだろうか? ……生きていていいのだろうか?
「じゃあ、用務員室に向かおうか」
 トーマが笑顔で言った。その笑顔はやはりどこか無機質なものだった。
 右田の殺し方は完全に常軌を逸していた。実の父である用務員を縛り上げたあと、目をスプーンで抉り、そこにあったポットで歯を折り、指を何本か切断した後、胸を何度も何度も突き刺した。それに使ったのは百円均一で買った包丁だという。周りはそれを聞いて笑っていた。
 塔子は震えだした。
浅はかだった。私が生きていけるはずない。私はまた罪を増やしてしまった。過去の苦しみが増えれば増えるほど生きるのは辛くなるのだろう。生きてなんかいけるはずがないのかもしれない。しかも、もし、止めようなんていったら……きっと……“殺される”。
 用務員の死体が嫌でも目に入る。酷い有様だった。こんな死に方は嫌だ……。
 結局、塔子はトーマに何も言えないまま屋上に向かった。恐怖、それと生きていけるはずないという自責の念から、ただ着いていくだけしかできなかった。先ほどの決意、トーマだけでも止める、そんなものは完璧に頭から消え去った。死にたくないとしても死なねばならない。そんな思いがべっとりと張り付いて離れなかった。
 屋上に着いた。
 塔子は輪条高校の屋上に足を踏み入れるのは初めてだった。元々開放されているため、休み時間は生徒でいっぱいになるのだが、何度も言うようにいかんせん塔子には友人がいなかったので、休み時間はいつも教室とトイレの往復しかしていなかったのだ。
低い金網しかないだだっ広い屋上には、この炎天下のちりちりとアスファルトを焦がすような日差しを遮るものなんて何一つなく、塔子も、シューティングスターの面々も皆すでに汗が噴き出してきていた。
集団の先頭を歩いていたトーマが立ち止まり振り向いた。
「それでは、シューティングスターシンドローム本番を始めようと思う。皆ここに並ぼう」
 トーマが指差した場所は金網の前だった。皆トーマを中心にして言われ通りに並ぶ。
「よし、みんな、金網の上を持つんだ。金網を倒すぞ」
 四十三人が金網の上を持ち、トーマの合図で手前に倒す。驚くほどたやすく金網はその役割を果たす事は出来なくなった。
 金網がなくなると視界が広がった。塔子はその開放感に恐怖を感じた。
 トーマが倒した金網を踏み越えてその先に縁に立つ。そして両手を広げた。
「さぁ、皆も踏み越えてくるんだ」
三十メートルはあろうかという一直線の縁にずらっとシューティングスターが並んだ。もちろん塔子も並ぶ。下から見たら不思議な風景だろう。屋上に四十三人の人間が横一列に並んでいるのだ。
「もう、俺から言う事はない。思い思いに飛び出そう!! 俺たちは誰にも強制されないんだ!! 自分の意思、それだけしかないんだ!!」
 トーマは声を荒げて言った。
 塔子の周りから興奮した声でその発言に賛同した声が響く。
 塔子はそーっと下をを覗き込んだ。この場所から下を見るとその高さを実感した。地面は灰色のコンクリートだ。まるで大きな鈍器かのように見えた。コンクリートの地面で殴られる、そんなイメージが頭を覆う。
塔子の足がガタガタと震えだした。
飛べないのか? 自分に問いかける。返事はない。
そのとき、視界の右隅で捉えていた隣のサラリーマン風の男が消えた。
――ドン。
次の瞬間下からこもった衝撃音が聞こえてきた。一人目が飛び降りたのだ。一人目が飛び降りると続いて二人目、三人目と飛び降りていった。
ドン、ドン。
ドン、ドン、ドン。
死を意味する衝撃音が次々鳴り響く。そんな世界で塔子はトーマを探した。いくつか隣にトーマがいた。まだ落ちてなかった。
“私は……、私は死にたくない”
トーマを見たら確信した。私はまだ何一つ頑張ってないじゃないか! 生きていけないからなんだって言うんだ。生まれて初めて芽生えたこの暖かな気持ちすら伝えていないんだ。せめて、せめて伝えよう。
「トーマぁ!」
 いじめの事実を教師に伝えたときよりも勇気を帯びた叫び声だった。
そして気付いた。
体を見られ笑われたり、ビンを挿入されたりした過去なんてもうどうでもよくなっている自分に。それは確かに一時的なものかもしれない。それでも過去が消える一瞬があるんだ。幸せを感じる事ができる夜だってくるかもしれない。そんな希望が生まれてたんだ。生きていけるかもしれないじゃないか!
「……どうした?」
 トーマは振り向かないで、落ちた死体を見ている。
「あの、私、こんなことやっぱり……」
「ん? いったいどうしたんだ? お前はもう生きていけないんじゃなかったか?」
 トーマは新たに横で飛び降りた人を見ながらどうも腑に落ちないというような顔をしている。声にも覇気がない。
「うん、でもね……」
「土壇場で怖くなったのか?」
 トーマは相変わらず塔子に視線を向けもしない。塔子からトーマの元へ歩み寄った。
「まぁ、別に俺は強制しない。ただこれからおまえはそうとう面倒くさいことになるだろうから覚悟してくれな。警察とかな」
 塔子がトーマのすぐ横にたどり着いた。
「ふぅ、もしかしたら違うのかもしれないな……」
 トーマの独り言だった。塔子はそれを確かに聞いた。“違うかもしれない”と言っていた。トーマも気付いてくれたのだろうか……? なら、話は簡単だ。止められる。
「まぁ。いい。俺はもうすべてに飽きてるんだ。どっちだっていい。じゃあな」
トーマの右足が地面から離れた。
「待って!」
塔子がその腕を掴む。屋上側にトーマが引き戻された。
「……違うの、私、私トーマと生きたいの!」
「何わけのわからないこと言ってるんだ?」
 そこでやっとトーマと目が合った。
「おい小倉さん! てめーいい加減にしろよ」
一部始終を見ていた右田が叫んできた。しかし、そんな右田の言葉なんて塔子には一切届かない。トーマに語りかけ続ける。
「お願い、私生きたいの! トーマと一緒にこれからも居たいの、ダイエットもするし、整形もするし、服だってトーマが好きなの着るし、トーマが望むなら何でもしてあげるから!」
「小倉さん!! あんた何言ってんだ!! あんた言ってたじゃないか!! もう生きていけないって、人間が怖いって」
「うるさい! 右田君あなたもだよ。あなただって生きていけるよ」
「……小倉さん、あんた、どうかしちまったんじゃねぇか」
 右田が呟いた。周りではそんな三人の様子にかまわず何人もが空に飛び立っていく。
ドン、ドン。
「ねぇトーマ……、二人で生きようよ? トーマ大好きだよ、トーマ、お願い、私は別に死にたくないとかじゃないんだよ、トーマと生きたいんだよ。お願いだよ。草間君を殺したのは私にしてくれていいし、ずっと逃げながらでもいいからトーマといたいよ」
「逃げながらでも……?」
 トーマが何かを考え出した。
「いいかげんにしろ!!」
右田が走ってきて塔子をがっちりと羽交い絞めにした。
「放して!! 死にたい人だけで死ねばいいでしょ!! 私はもう嫌なの」
「そんなことがまかり通るわけないだろ!! 俺たちは運命共同体の同志なんだ。仲間は最後まで一緒に居なければ駄目だろう!! やっと出来た仲間なんだ! 何があっても俺たちは裏切っちゃいけないんだ!! トーマさんも迷う事はないでしょ?」
「あぁ、迷う事なんてないはずなんだが……」
 右田が塔子を抱えてジリジリと屋上のヘリへと向かっていた。
「嫌だ! 放して! お願い! トーマ助けてぇ!!」
 トーマはただ黙ってその光景を見ているだけだ。しかしその表情は明らかに普段とは違った。トーマらしからぬ感情を帯びた表情だった。
 その瞬間塔子の体がふわっと軽くなった。右田に抱えられたまま塔子が屋上から落ちたのだ。
「いや〜〜〜〜〜〜!!」
 落下の瞬間塔子は、逆光の中で返り血を浴びながら佇むトーマの姿を思い出していた。
「トーマぁ!! 助けてよぉ!! 嫌だよぉ〜…………」
 ――ドドン。

■■■■

塔子の悲鳴。それを聞きながらトーマがポロっともらした。
「あ、待ってくれ……」
下から落下の終了と死亡を告げるこもった音が聞こえてきた。
心の中にぽっかり穴が開いたようそんな気分になった。
なんだこの感じは? 心の底から何かを感じた……。もしかして……。
隣で二人飛び降りた。ドン、ドン。
そうかもしれない……。ドン、ドドドン。
「そうか……、そういうことだったのか……、塔子、俺は間違っていたよ……」
 気付くと残りのシューティングスターはトーマの他には三枝が居るだけだった。
「最後は一緒に行きますか?」
 三枝が笑顔で言ってきた。
「あぁ」
 トーマは三枝の元へゆっくりと近づいていった。
その肩に手を置いた。
そして力を込め、突き落とした。
「……大失敗だったな」
ボソッと言った。

 ――ドン。

シューティングスターシンドロームはこの瞬間終了した。
トーマは金網を踏み越え振り返りもせずスタスタと校舎内に入っていく。
そして、まずあの無残な死体の転がる用務員室に入り新品の軍手を一組拝借した。用務員室から出るとコンピュータールームを目指した。コンピュータールームに着いたトーマは、その準備室で出席簿を漁り、塔子のクラスの物を見つけ、塔子の席を割り出し、塔子の使っているコンピューターで文章を打っていった。
“私は全てを恨みます。仲間たちも同じ気持ちです 小倉塔子”
それをプリントアウトしトーマは再び屋上に向かった。
屋上から先ほど飛び降りた死体を見下ろしながらトーマが言った。
「そうだな、そういう可能性もあったか……、盲点だったよ」
トーマはその紙切れを床に置き学校を後にした。

翌日、私立輪条大学付属高等学校は大パニックとなった。マスコミ、野次馬、学校関係者、シューティングスターたちの遺族、そんなものでごった返した。
事件は日本列島をあっという間に駆け巡り、人々は口々にそのことを話題にし合っていた。マスコミもこぞってその記事、それに関連する記事を書いた。学校で見つかった死体は四十四、そして、そのうちの何人かが起こした殺人も各地で表面化した。
数週間がすぎ事件の全貌が警察からは発表された。
少女A(十七歳)が立案したシューティングスターシンドロームという自殺を呼びかけるホームページがあり、それで集まった者たちの集団自殺、および殺人。これが公式見解だった。
トーマのところまで警察は行き着かなかった。当事者が全て死に絶えていたことと、世間にたいする衝撃度があまりにも大きい事件だったため、警察が事件の早期解決だけを求めた結果であろう。
トーマは自宅でそのニュースを見ていた。そして思った。
そうだな、俺は教師になろう。何年かかるかはわからないが本当のシューティングスターシンドロームを完遂させよう。真シューティングスターシンドロームをやるためには時間はかかるのは間違いない。十年は覚悟しなければ。なにせゲストが三十人前後はいるわけだし、こちらはその倍以上必要だ。ああ、そうだな、アレがあったらもっといいかもしれない。
あぁ塔子……、全ておまえのおかげだ。本当のことを気付いたのも、それが実現できる環境があるのも塔子のおかげだよ。
トーマは流れ星に魅せられた本当の意味に気付いたのだ。
その後、トーマがまず行った行動、それは祖父の属していた右翼団体に出向き、十年間の裏工作を頼む事だった。警察関係にも顔の利くこの団体に遺産のほとんどを渡し、十年間限定で家族がいないことを誤魔化す裏工作を頼んだのだ。
その後、輪条高校の屋上には大きな金網でぐるりと取り囲まれ、立ち入り禁止になった。そして出来る限り、その騒動に関する全てに対し緘口令をしき、事件の鎮静化を図った。
五年後、トーマは私立輪条大学付属高校の教師になった。
そしてさらに五年後、つまりちょうど十年後の八月一日、本当のシューティングスターシンドロームを開催した。

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