参加者サイド・5





周りを取り囲むこの集団の歓声と、昇降台の上の丈太郎先生のセリフ、その全ての意味がさっぱり理解できない。丈太郎先生はいったい何をするつもりなんだろう。やっぱりこれは大掛かりな丈太郎先生の悪ふざけか何かなのだろうか?
「みんな、覚悟はいいか?」
 丈太郎先生がそう言うと俺たちの周りを取り囲む人々からさらに大きな歓声が上がった。耳が痛いくらいだ。その歓声の中には、はい、もちろん、そんな言葉が見え隠れしている。
「いやぁ、さっきも言ったが本当に、本当に長かったよ……、なにせ本番の今日を迎えるのに十年もかかったからな……」
「先生? 何言ってんの?」
隣に立っている真由が言った。その声は俺と同じように今現在の全てがわからない、そのことを物語っている。
「お、真由、いい質問だな。でも、質問はいいが、一つ良くないところがあるな。俺は今、この瞬間からもう先生ではないんだ。俺はな“トーマ”だ。この苗字の響きが気に入っててな、それが本当の俺を指す名なんだ。だからそれ以外は俺を呼ぶ名は存在しない。お前らもトーマと呼んでくれ。斗馬、とうま、ではなくてトーマだからな」
 淡々としゃべる丈太郎先生に俺たち、二年三組のクラスメイトは皆沈黙してしまっている。もちろん俺だってその内の一人だ。だって……、だって丈太郎先生の顔が違うんだ。いつもの飄々とした顔ではなくて、なんていうか、プラスチックみたいとでもいうか、無機質とでもいうか、人間味の欠如した顔とでも呼べばいいのか、なんて例えればしっくりくるのかわからないが、ともかく丈太郎先生があんな顔をしたところを、いや、今まで会ったどの人間からもこんな表情を見たことなんてないんだ。
「トーマ……先生?」
 真由がぼそっと言った。
「だから、先生じゃないんだ。気をつけろ。……そうだな、説明してやろう。俺はな、流れ星に憧れていたんだ。だって綺麗だろ? だから十年前に流れ星になりたいって考えたんだ。しかし、ある事がきっかけで見落としていた重大なことに気付いた。……流れ星ってのは自ら燃え尽きているわけではなかったんだよ!」
「……あの、何言ってんすか?」
 俺は意味がわからなすぎて、さすがにそう聞いた。
「まぁ待て、まだ続きがある。そう、あれは、流れ星ってのはな、重力に引き寄せられ偶然、大気圏に突入してしまって、その中の灼熱の温度に焼かれて消滅するさまなんだ。つまりな、あいつらは消えたくないんだよ。あの美しい光は“もがいて足掻いている光”だったんだよ。わかるか?」
 クラス中に問いかける。もちろん回りの奴らも俺と同じように皆チンプンカンプンだ。
「鈍い奴らだな、だから今お前らの周りにいるこの八十三人が大気圏で、お前らがもがいて足掻いて光り輝く流れ星ってわけだ。ああ、自己紹介を忘れていたな。俺たちはシューティングスターシンドロームだ」
 大昔の喜劇映画に出てくるキザ男みたいに両手を広げ、俺たちを見渡す。
俺たちからなんのリアクションもなかったのが気に食わなかったのか、首を大げさに振りながらその両手を引っ込め腰にあてがった。
「ふぅ〜、……まだわかっていないようだな。わかった。ものすごくわかりやすく言ってやろう。シューティングシンドロームはな、十年前は集団自殺クラブだったんだ。そして、今は“集団無理心中クラブ”に進化したというわけだ。これでわかったか?」
 そう言われても皆が未だにさっぱりわからないでぽかんとしていると、なぜか幸介が周りを掻き分けて前へと進んでいった。いったい幸介は何をする気だろうか?
そして丈太郎先生、いや、……トーマか、とりあえず斗馬丈太郎のいる昇降台の前まで行って振り返った。
「みんな、まだわかんないの? 醜くい上に本当に鈍いんだね。そんなみんなでもわかるように優しく言うとね、俺たちの自殺に付き合ってもらうってことだよ」
 唇の右端を歪にきゅうっと吊り上げ鳥肌が立つくらい嫌な感じのする笑顔を作った。
 そんな幸介に慎ちゃんが近づいていくのが見えた。
「おい、幸介、お前いったい何知ってんだよ?」
 慎ちゃんの大声に幸介は一瞬身を縮こまらせたが、すぐに口を開いた。
「………お前もうるさいんだよ」
 震えてはいるが鋭利な刃物のような声だった。幸介じゃないみたいだ。
「はぁ? テメー、誰に口聞いてんだよ?」
「う、うるさいんだよ!! どいつもこいつも馬鹿にしやがって!! お前だって俺のこと馬鹿にしてたんだろ!!」
 幸介が慎ちゃんを睨みつけた。慎ちゃんがあからさまに“ムカついた”という表情になり幸介に掴みかかろうと前に進む。そのとき、
「幸介、慎也、ちょっと黙れ」
 斗馬丈太郎が低い声で二人を制した。
「お前らが意味わからないのも最もかもしれない。よし、だったら見せてやろう。誰か、一番手はいないか?」
 シューティングスターシンドロームとか言っていた周りの奴らがざわついた。少しするとその中の取り立てて特徴のない地味な四十台くらいのスーツ姿の男二人が手を挙げた。
「よし、前に来てくれ」
 斗馬丈太郎……もうめんどくさい“トーマ”が二人を自分の目の前に呼ぶ。そいつらはスタスタと昇降台の前まで歩いていき、たどり着くと二人同時に俺たちのほうに振り返った。
「さて、お二人さん、誰にする?」
 トーマの声はとらえどころのない響きを持っていた。授業中の先生の声とは全く違う。今まで俺は誰に授業を受けていたのだろうか、なんて感じてしまうくらいもう丈太郎先生ではなかった。いくら頑張っても授業中の丈太郎先生の顔が白くぼやけて思い出せない。
「私たちは誰でもいいですよ?」
 俺たちのほうを見ながら一人が言った。その後、しばし三人で俺たちを見わたした。生簀のある料理店でさばく魚を選んでいるかのような、そんな空腹感を伴った視線で見られているようで酷く居心地が悪かった。
「……そうだな、それなら菜緒にしよう。あいつだ」
 トーマが、河合菜緒を指差し言った。
「菜緒は学級委員だからな」
 二人の男は俺たちの中に入ってきて、菜緒の手を引き昇降台の前まで連れて行った。菜緒は不思議そうな顔をしている。
「さぁ、みんな見ててくれ!」
菜緒を指差すトーマのその言葉を合図にその二人は菜緒を抱え上げた。おっさん二人に抱えられるのが嫌だったのだろう、菜緒は多少暴れた。しかし、大人二人に少女の力では敵わない。
そして、序々に金網の隙間に移動した。
……まさか?
この切れ目はそのために?
さっき聞いた幸介の言葉“俺たちの自殺に付き合ってもらうってことだよ”と言う言葉を鮮明に思い出した。
いやいや、そんなわけないだろう。そんなことが起こりうる筈がない……。しかし、菜緒を抱えたスーツの男二人はその切れ目へと向かっていく。そして、
「イヤーーーー!!!!」
一瞬よぎった俺のありえない想像をなぞるかのように、菜緒の悲鳴と共に三人が俺の視界から“ふっ”と消えた。
……飛び降りた? いや、飛び落とされたのか……? いや、どちらも正解とは言えない。……その両方なんだ。

――ドドン。

それから一秒以内に下からこもった音が聞こえてきた。……人が死んだ音だ。クラスの奴らは皆一様にお互いの顔を見合ったり、口をポカンと開けていたりと言葉を発するものは一人もいなかった。
……リアルじゃないんだ。嘘みたいなんだ。目の前で人が死んだ。本当に人が死んだのか? 菜緒が死んだのか? ……殺された? 一瞬で三人も死んだ? 理解できない。できるわけがない。
「あぁ、十年ぶりだ……」
トーマが震える体を両手で押さえ込みながら言った。そして、
「みんな拍手だ」
 ばっと両手を広げる。周りを取り囲んだシューティングスターシンドロームから拍手と歓声が鳴り響いた。
その激しい音の真っ只中で、俺の体の中の何かが凍りついた。
つまり、こいつらは全員自殺志願者で、俺たちを道連れにするということなのか……。俺たち相手に無理心中を……?
周りを見渡してみた。拍手はどんどん大きくなり、そいつらの目は“歓喜”それを物語るかのようにキラキラに光っている。夜の野良猫みたい。
……狂ってる。人が死んで拍手してやがる。いったいなんなんだこの状況は……? なんで俺はこんな狂ったところにいるんだ?
 ピタッと拍手が止んだ。トーマが両手で拍手を制したんだ。そしてニヤリと笑った。
「さて、お前らも趣旨がわかっただろう。そろそろ始めようか。え? 心の準備が必要か? はは、そんなものはやらないよ。ちなみに言っとくが校舎内へと戻る扉は完璧に施錠されている。逃げようったって無駄だからな?」
 トーマはそう言うと咳払いを一つした。そして少し間を開けて言い放った。
「さぁ、始まりだ! シューティングシンドローム開始!!」
 すると周りを取り囲んだシューティングスターが一斉にけたたましい雄叫びを上げ俺たち目掛け走り寄ってきた。
間誤付いていた何人かが捕まり、そして引きずられていくのを見た。
……これはマジなのか?
屋上にいるトーマ以外の全ての人間が激しく動き出す。
そして、悲鳴、地面にぶつかる音。
マジらしい。とりあえず逃げなければ……。逃げなきゃ捕まっちまう。真由は? 周りを見渡すがすでに混沌と化したこの屋上では真由を見つけることが出来なかった。だからと言って俺だってこのままここにぼーっとつっ立ているわけにはいかない。
 俺は向かってくる奴らをなんとか交わし、入り口の上の小さな屋根に向かって走った。幸い鍵がかかっているこの場所に人は少ない。走る足を止めずに配水管に足を掛ける。この上なら少しはましだろう。また聞こえる悲鳴、ドン、死の音。……意味がわからない。
「はっはっはぁ、逃げろ逃げ回るんだ!! あっはっはぁ! いやぁ足掻け! もがけ!あっはぁっは!」
 背中からトーマのはしゃいだ声が聞こえる。俺は急いで屋根の上に上り、奥側に身を潜めた。ここなら下から見えることはないだろう。しかし、それでも、きっと何人かは俺がここに来るところ見ているはずだ。……結局は時間の問題だろう。つまり、いつか捕まって菜緒みたいになってしまうということだ。
 菜緒みたいに? ……それは殺されるということ。コロサレル? どうして俺が? 視界から消え去った菜緒のあの瞬間の映像が脳裏に浮かんできた。
………………………………………。
体がガタガタと震えだした。ガチガチと歯が鳴って頭にやけに響く。
突然の不幸や災難には俺だって何度もあったことはある。小学生の頃に交通事故にあったことだってあるし、わけのわからない不良に絡まれ殴られた事もあった。
だけど、それはヒタヒタと歩み寄ってくる足音が聞こえなくても、後になればどこか自分にも責任があったかもしれないと思えたりもした。ほとんどの事象は結局は自己責任なんだと思う。
でも、これにはそんな論理は通じない。
これは大地震や、大津波、つまり災害そのものなんだ。一瞬で日常を消し去る天変地異なんだ。恋や人間関係に悩んでいた昨日までが嘘のように俺は今殺戮の中にいる。あまりにも突然すぎやしないか? 嫌だよ。死にたかねぇよ。
 俺はそこにあった緑色の毛がついたボロいデッキブラシを強く握り締め、無理やりにでも震えを止めようと試みた。
 冷静になれ、考えるんだ。この殺戮を止めるためにはどうすればいいのか……。いったいどうすれば助かるのか……。
「いやぁ、金網を切り取っている間すら楽しかったなぁ! 人生は楽しむためにあるんだよ! シューティングスターたちよ! 楽しむんだ! 最後の最後を楽しむんだ!!」
トーマの声がまた聞こえた。
 そうだ。……トーマ、斗馬丈太郎、あいつが全てを仕切っていた。あいつがリーダーなのは間違いないだろう。つまり、あいつを止めれば……。
襲ってきたシューティングスターの顔を思い浮かべる。常人のそれではなかった。狂気、歓喜、興奮、諦め、そんな顔をしていた。トーマを止めたからと言って簡単に止まるとは思えない。だけど、状況を変えるにはそれしかないだろう。他の方法なんて思い浮かばない。
 身を屈め、下の様子を見える位置まで移動した。トーマは未だに昇降台の上でなにやら歓喜の声を上げ、しなやかなステップを踏むかのように三百六十度に広がる殺戮を見て、楽しんでいる。
また一人捕まった。
敬二だ! 
そして瞬きをする暇もなく悲鳴を上げながら団子状になって柵から落ちた。
……敬二。敬二とは仲が良かった。真由とのこと以来まともに口も聞いてくれなかったが、それでも友達だったはずだ。その敬二が飛び落とされた。
敬二とのくだらない会話を思い出す。その全てが笑い話だった。だけど笑えないよ。わけわなかんないよ。いったいなんだってんだよ……。
――ドン。
こもった音が聞こえた。敬二が死んだ音……。さらに何人か捕まっていく。そしてあの音だ。
クラスの奴らが死んでいく。俺の陰口を叩いていた奴らが死んでいく。
俺はいったいどう感じればいいんだろうか……。
……俺は本当に悔しかったんだ。昨日まで仲良かった奴らが話も聞いてくれずに一日で俺を罵倒しだしたんだ。俺が少なからず感じていた友情は全て嘘っぱちだったんだ。
誰も信じられなくなったし、もう誰も信じたくなくなった。どうせ裏切られる、そんな風にだって思った。そして、俺が真由のことを好きだってことがみんなにとっての裏切りになるなら、俺はきっとこれからもみんなを裏切るはずだ。俺は本当に真由が好きで動いただけで、そこに嘘はなかった。それを裏切りと呼ぶのなら俺には誰かを裏切らずに生きていく自信がない。……俺は嘘まで吐いてみんなと仲良くしようとは思わない。
それでも真由の言うとおりに俺から歩み寄ればよかったのだろうか? でも、無理だよ。突っ張ってなきゃ耐えられなかった。ふざけんなって思わなければ俺は死んでしまっていた。だからこそ、真由にだけは俺の味方でいて欲しかったんだ。だけど、真由ですら俺を非難したんだ。真由だけでよかったのに……。そして俺は全てが嫌になっていた。
だけど、みんなが死んでいくのを、殺されていくのを見ると、平静ではいられない自分がいる。
“……本当は、本当は俺だってみんなと仲良くしていきたかったさ”
今まで必死に頭から追い出してきていたことが頭に浮かんだ。
口には出せなかったけど、当たり前だ。だって友達だったんだ。敬二たちと朝にするくだらない話が楽しかった、慎ちゃんと屋上や“喫煙所”でタバコ吸いながら女の話するのだって楽しかった。
……俺はこのクラスが好きだったんだ。
ただ、話を聞いてくれなかったことが悔しかった、わかってもらえないことが、誰一人俺をわかろうとしてくれなかったことが悔しかったんだ。
そう、俺が感じていた友情が偽物だったことがたまらなく悔しくて悲しかっただけなんだ。
 デッキブラシをぎゅっと握り立ち上がった。
トーマを止めよう。もちろん俺にだって意地もプライドもある。みんなと仲良くするのはもう無理だと思うし、これから、仲良くしようだなんてする気も起きない。でも、死んで欲しくないんだ。ただ、みんなが殺されるのが許せないんだ。
ここから飛び降りて一直線に走ってトーマをこれでぶっ叩いてやろう。それでこの殺戮が止まる可能性が一パーセントでもあるならそれにかけるしかないんだ。
そう決意したとき、屋上の中心あたりにいる慎ちゃんを発見した。
さすがだった。向かってくる奴等を全く寄せ付けず、近づいてくる奴は女だろうが力いっぱいぶん殴って吹っ飛ばしながら歩いていく。向かっている先は昇降台、トーマだ。どうやら俺と同じ考えのようだ。
 ずんずんとシューティングスターをなぎ倒しトーマに近づいていく。
 昇降台のすぐ真下まで来た。
「おらぁ! 丈太郎、お前頭どうかしちまったんじゃねぇのか!」
 そう叫んでトーマの足を掴んだ。
「は、放せぇ!」
 トーマは慌てふためいた。しかし、慎ちゃんは聞く耳持たずトーマを昇降台から引き摺り下ろし、乱暴に右手をひねりあげ、人質のように周りに見せ付けた。
「こらぁ!! お前ら止まれ! お前らのボスが捕まったぞ!」
 悲鳴やわめき声、泣き声が一瞬でピタッと鳴り止んだ。ドン、一足遅かったのか一組落ちた音がした。
「これで終わりだクソ共、テメーら何人も殺しやがって……」
「やめろ! 放せ!!」
 醜く慌てたトーマが叫ぶ。
「わめくな! 黙ってろ!」
 慎ちゃんはやっぱり頼りになる男だ。俺は慎ちゃんが好きだ。時間を掛けてでも慎ちゃんとだけは仲直りしよう。
「放せよ! ふざけんな! 俺はこの計画のために、十年も掛けたんだぞ! 頼む放してくれ!」
「お前馬鹿か? 放すわけないだろ」
「ちくしょう……」
 トーマがガクッと肩を落とした。屋上が水を打ったように静まり返る。
これで終わったのか? なんにせよ良かった。しかし、一体何人死んだんだろうか……。見渡すと、人数は半分くらい減っていた。友達だった奴らがたくさん死んだんだ。いったいなんだったんだこれは……?
「……放してくれよ」
 俺の場所からギリギリ聞き取れるくらいの小さな声だった。見ているとトーマの捕まれていない左手がゆっくりと胸ポケットに入っていくのが確認できた。
「――なんてな」
 トーマがニヤリと笑った。
 パンッ。
軽い音だった。その音と同時に二人の様子が一瞬で様変わりした。
慎ちゃんがトーマを放し、崩れ落ち、トーマがゆっくり髪の毛を掻き揚げ、そんな慎ちゃんを見下ろす。
 慎ちゃんはうめき声を上げながら右足を押さえて蹲った。その足からは今まで見たこともないくらい赤い血が流れ出ていた。トーマの手にはテレビや映画でよく見るものが握られている。
……黒く光る拳銃だ。
「慎也、俺はな、そんなミスはしないんだよ」
 パンッ。
 トーマが冷静に慎ちゃんの頭を打ち抜いた。慎ちゃんの脳みそが頭からぐしゃりとはみ出した。
 銃声の後だからか、屋上の静寂がさらに深みを増した。今まで聞こえなかった風の音や、遠く離れた車の走る音なんかが、聞こえてきて、それが妙に耳から離れない。
トーマはすばやく昇降台の上に戻った。そして、拳銃を空に向ける。
「こんなこともあろうかと思ってな。これは結構簡単に手に入ったよ。役に立ってよかった」
 くるっとステップを踏み、周りを見渡し、ニヤリと無機質な笑顔。
「みんな、何を静まり返っている? なんの問題も起きていないんだ。再開といこうじゃないか!!」
 空に向かって一発拳銃を放った。小学校の運動会みたいにそれをスタートの合図にして再び屋上が渦を巻いて動き出す。静まり返っていた屋上にまたもや悲鳴や怒号が響き渡る。
「ははははははははは! ほら、足掻け、もがけ、叫べ、泣け! 聞かせてくれ! 聞かせてくれよ! ははは! 見せてくれよ! シューティングスターよ、お前らも叫ぶんだ。報われなかった人生を叫ぶんだ!! もっともっと俺を興奮させてくれ!」
 トーマは狂ったように叫び続けている。
 ……もう、これは助からない。三倍以上いる自爆テロリスト、固く施錠された扉、そして拳銃……。突破口が見当たらない。
 脳みそが、どろりとはみ出した慎ちゃんが目に入った。
その瞳は瞬きもせずに空を見ている。……慎ちゃんが死んでいるんだ。あの慎ちゃんが…。一緒に馬鹿やっていた慎ちゃんが。理不尽に俺を殴った慎ちゃんが……。
俺もこれで死ぬのか……? こんなわけのわからねぇ搾取で死んじまうのか?
……死んじまうんだろう。助かるわけがない。……本当にバカみたいだ。なんで俺たちがこんなことで死ななければいけないんだ? 死ぬ理由なんてあるのか?
だけど、考えてみたら誰だってそうなのかもしれない、死ぬ理由なんて誰もが死に際には分からないのかもしれない……。いや、死についてだけじゃない。俺たちはいつでも何がなんだかわかんなくて、でもその中で生きていかざるをえなくて、いつでも知らないところで何か起きて、それが自分にただならぬ影響を与えていて……。
真由とのこともそうだったのかもしれない。いきなり恋が盛り上がって、幸介を傷つけて、俺は真由が好きになって、起こったことに対応して、受け入れて、その場で考えて行動した。
……みんなに何言われようが受け入れてやっていた。話を聞いてもくれなかったんだ。どうする事も出来なかった。結局、どうにもならない事は受け入れるしかなかったんだ。どうしたって解決できないことってのはあるんだ。
そうだな……、受け入れようか、わけわかんねぇけどまた受け入れよう。この状況じゃどうせ助かりっこないだろうし、足掻いたって一緒だ。
死ぬしかないんだ。何をどうしようがもう俺はここで死ぬしかないんだ。
そうだよ。どうせ、誰も俺をわかっちゃくれねぇし、真由でさえ一つもわかってくれなかったんだ。もうどうだっていい……。
もしかしたら言わないでわかってもらおうとした俺が甘かったのかもしれない、いや、でも、あのことだけは言わずにわかってもらわなければ意味がなかったんだ。そこだけは譲れない。だったら、わかってくれなかったあのときに俺たちはもう終わっていたのだろうか? ……それは違うような気がする。どうしてだろう。
俺は下から四番目の頭で必死に考えた。
なんとか答えを導き出せた。
……そうか、俺は真由が好きなんだ。わかってくれなくても、ひたすらムカついても真由が好きなんだ。
そうだ、ただ、好きなだけなんだ。
誰が何と言おうが真由が好きなだけで、周りの事なんて何一つわかんないけど、ただ真由が好きなだけだったんだ。だからこそ、苦しかったし、わかって欲しかったんだ。
好き同士って言葉がどうとか、幸介の事がどうとかだって俺にとっては確かに重要だった。でもそんなことよりも俺は真由が好きだったんだ。
今になってようやくそのことに気付いた。
どうせ、俺はこのまま死ぬだろう。だったら、真由と一緒がいい。ムカつくこと、どうしても許せないこと、そんなもんはたくさんあるけど、最後は真由と一緒にいよう。ただただ好きなんだって言おう。
……どうせ死ぬんだ。殺されるんだ。
「勇一! ほらっおまえもいつまそんなところにいたら捕まっちまうぞ? 足掻け!」
トーマが声を一オクターブ上げて吠えた。拳銃はこの屋根の上、俺に向いている。
「……おまえは相変わらず意味わかんねぇな、でも、もういいんだ。逃れられないんだろ?俺たちはいつだって逃れられないんだろ? だったらもう最後に真由といれたらそれだけでいいんだ……」
トーマを見ながら独り言を言った。
そうだ、まずは真由を見つけるんだ。
周りを見回した。ここからならしっかり見渡せる。改めて見るこの屋上の景色は相当凄惨なものだった。人数も大分減っている。二年三組、シューティングスター、双方を合わせると百人以上いたはずなのに今では三十人くらいしかいない。その理由は明白だ。今でも一人の女子生徒が三人の男に捕まりじりじりと屋上のヘリへと近づいている。……あれは真由と仲良かった瀬島由紀だ。屋上から飛び降りた。下からこもった音がする。これが理由だ。
真由は、真由はどこだ? 目を凝らして辺りを見回す。見当たらない。
まさかもう……? 嫌だ。俺はまだあいつを傷つけっぱなしだ。それに大事な事を伝えてない。
足首に妙な感触が走った。足元を見ると眼鏡をかけたサラリーマン風の男が屋根に上ってきていて両手で俺の右の足首を掴んでいた。
「――っ邪魔すんじゃねぇよ!!」
そいつの顔を眼鏡の上から、左足で思い切り踏みつけ、その屋根から飛び降りた。
拾ったデッキブラシを振り回しながら真由を探す。
上から見えなかった屋上の裏なら……、いるとしたらそこしかない。
頼む。生きていてくれ! 真由!!


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