わけわかんないよ、なんなのこれ?
流れるプールみたいな周りのうねりに飲み込まれ、私は何がなんだか分からないまま逃げ回っている。運動神経の悪い私だけど不思議と今のところは捕まらずに済んでいる。
でも、仲のいい友達がもうすでに何人も……殺された。菜緒も、由紀も、みどりも、千秋も……、大きな悲鳴を上げながら屋上から真っ逆さまに落ちて……死んでしまった。
私はなんでこんなとこにいるの? 丈太郎先生はいったいどうしちゃったの? コー君はどうしてこのことを知っていたの?
……私のせいなの?
何もかもさっぱりわからない。
何もわからないのに私はどうしてこうやって走り回っているの? 殺されちゃうから? なんで殺されるの? 私が悪いことしたから?
頭の中は疑問符だらけ、それでも私は必死に走り回った。
「真由!」
 私を呼ぶ声が聞こえた。声のほうを見るとコー君がいた。
「真由、こっちに来て、俺のところにいたら大丈夫だから」
何も考える事なんてできなかった私は言われるがままコー君の目の前まで走って、そこでやっと足を止めた。走っていない状態が久しぶりのように感じた。
「真由、もう大丈夫だよ」
激しい息切れとバクバクと破裂しそうなくらい大きく鼓動する心臓を無理やり押さえようとしたけど、すぐに治まるようなものではなかった。声なんて出ない。
「真由ぅ……」
 コー君にそっと抱きしめられた。私はただそうされていることしか出来なかった。思い通りに体を動かせない。
「怖かった? 平気? 何所も怪我してない?」
耳元で聞こえるコー君の声はすごく優しい。
「――コ……コー君、これはいったい何なの?」
 息も絶え絶えながらやっと言葉を発する事ができた。
「これってシューティングスターシンドロームのこと? これはね、トーマさんが俺たちみたいに純粋すぎて、こんな汚い世の中では生きていけないに人たちに与えてくれた孤独を消してくれる素晴らしい装置なんだよ」
「そ、そ、そんなこと――」
「うん、真由の言いたい事はわかる。関係ない人を巻き込むなんて酷い、でしょ? でもね、僕たちみたいな人間はさ、本当に汚い世の中に虐げられてきたんだ。世の中ってのは繋がってるでしょ? だからね、関係ない人なんていないんだよ?」
「……コー君もやっぱりこれに関わっているの?」
 ようやく息の整った私はなんとかちゃんとした声でしゃべる事ができた。
「うん、そりゃそうさ、仲間だもん。この計画自体は二年くらい前から知っていたよ。あ、でもトーマさんが丈太郎先生だったなんてことは今日初めて知ったんだよ」
「ねぇ、コー君! なんとかしてよ! みんなが殺されてるんだよ! 止めてよ!」
 私は体をなんとかずらしてコー君の目を見ながら言った。
「……ごめんね、真由、真由まで巻き込んでしまって。本当にごめん、でも俺にはもうこうするしかなくてさ」
「コー君、私そんなこと言ってないよ。これを止めてって言ってるの!」
 コー君は私の目をまっすぐ見ながら黙り込んだ。少ししてからコー君が口を開いた。
「……ねぇ、真由、勇一と俺どっちが好き?」
「……それってどういうこと?」
この質問の答えによってこれが止まるのだろうか……。
コー君のほうが好きって言えば止まるのだろうか……。
私が考えている事を察したようにコー君が首を横に振った。
「ううん。そういうことじゃない。ただ真由の口から本当のことが聞きたくて。シューティングスターシンドロームはね、もう止まらないよ。だって、止める理由なんてどこにもないし。……真由もね、俺と死ぬんだ」
 その言葉を聞いた途端、私は力ずくで体をねじり、コー君の腕から逃れた。
「……また、俺から逃げるんだね」
コー君は腕を伸ばしたまま固まって小さな声で言った。
「私、勇一が好きだよ。ごめんね、コー君よりも勇一のが好きなの。ううん、コー君よりもとかじゃなくて、ただ勇一が好きなんだよ」
 私がそういうとコー君はがっくりと肩を落とした。そして、
「篤志君、お願い」
 ボソッと言った。
 その瞬間、後ろから背の高いがっちりした男の人にいきなり羽交い絞めにされた。
「何? やめて!!」
 私は大きな声で叫んだ。
 肩を落としていたコー君が顔を上げた。
「篤志君はね、さっき金網をみんなで切断してるときに俺の話を聞いてくれてさ、力になってくれるって言ってくれたんだ。ううん、篤志君だけじゃない。トーマさんもね、真由にだけは誰も手を出すなって言ってくれて、今まで誰も真由を捕まえなかったでしょ? 俺のおかげだよ? だってさ真由は俺と死ぬんだもん。それしかないでしょ?」
「……コー君、何言ってるの? 嫌だよ、やめてよ……」
「ごめんね、真由。でももう止めるとか、そういうこと言っても仕方ないんだよ」
 コー君はとても悲しそうな顔をしている。もう本当に意味がわからない。
「……ねぇ、コー君がこんなことするのは私のせいなの? この意味わかんない事が起きたのは全部私のせいなの?」
 涙が出てきた。もうなんで泣いてるのかもわからない。ううん、何もかもわからない。
「ち、違うよ。泣かないで、真由のせいなわけないでしょ? 真由は何も悪くないんだよ」
 コー君が慌てて弁解している。
「真由じゃないんだよ。悪いのはね――」
 そんなコー君の肩越しから何か棒状のものを振り回しながら走ってくる人が見えた。

――勇一だ!

□□□□

迫り来るシューティングスターたちをデッキブラシを目一杯振り回しながら追い払って、なんとか屋上の裏側に回る事ができた。そして必死に見回した。

――いた!!

真由だ! 真由がいた。まだ生きていてくれた。でも、真由はデカい男に羽交い締めにされている。とりあえず助けなければ。助けて真由に伝なえなければ、好きだってことを、ただ、ひたすらに好きだってことを。
「真由!!」
ダッシュで走って真由に近寄る。スピードを殺さず、さしていっさいの躊躇をしないでそのまま降りかぶりデッキブラシの柄で真由を羽交い締めにしている男の頭を殴りつけ、そして振りぬいた。手元にぐしゃりと豆腐でも潰したかのような鈍い感覚が走る。
男は真由を放し、もんどりうって倒れる。さらに、頭にデッキブラシをお見舞いした。すると男は動かなくなった。
「真由!! 大丈夫か?」
「勇一!!」
真由の顔が多少安堵に包まれた。
「……勇一」
背中越しに聞き覚えのある声が聞こえてきた。振り返った。やはり幸介だった。
「――こいつなんだよ。真由、悪いのはみんな勇一なんだよ……」
幸介が呪うかのように呟いた。狐憑きにあったかのような目つきで俺を睨んでいる。
左手で真由の肩を抱き寄せ、俺も幸介を睨みかえす。
「真由離れんなよ……」
 幸介から視線を逸らさずに真由に向かって言った。真由がこくんと頷くのを肩口で感じた。
周りはわーきゃー言いながら逃げまどったり、団子場になって落ちて行ったりとしている中、ここだけは異質の世界だった。ゆっくりと太陽がジリジリと肌を焦がす、そのくらい静かに時間が流れていた。
「……幸介、お前はいったいどうしてそっち側にいるんだ?」
 幸介はゆっくりと近づいてくる。俺はその幸介に右手で持ったデッキブラシを向ける。
「勇一……、お前さえ……、お前さえいなけりゃ……、お前さえいなけりゃ真由はずっと俺の元にいたんだ……」
 幸介の目はジッと俺を捕らえて、動く気配はない。
「コー君、それは違うよ? 私は勇一がいなくてもきっとコー君とは終わりにしてたよ、お互いの為に別れたほうがいいって言ったでしょ? 私といるとコー君はどんどん弱くなってっちゃうからって言ったでしょ?」
真由の言葉で、幸介が止まった。俺たちと幸介との距離は三メートルくらいしかない。
「真由……、真由は悪くないんだよ?」
 どこまでも優しい声だった。しかし、視線は俺を捕らえている。す〜っとあげた腕の先から伸びた人差し指が俺を指した。
「……こいつが悪いんだから」
 声の質が変わった。神経質で殺意を持った声だ。
「お前が俺の真由を取ったんだ、俺から真由を奪ったんだ……、真由、かわいそうになぁ、勇一にさえ騙されなければ俺と二人で生き残れたのに……、二人で学校をサボって次の日にただこれを知るだけだったのに……。お前が真由を取らなければ、奪わなければ……、真由だって生きられたんだよ! 勇一、お前のせいで真由が死ぬんだ!! 何もかもお前がいけないんだよ!!」
「コ、コー君どうしちゃったのよぉ?」
 真由が不安そうな声を出し俺にしがみついてきた。泣いている。
……俺は頭にきていた。心底、幸介の今の言葉が気に食わなかったんだ。
「……取る? ……奪う?」
幸介をキッと睨みつけた。
「おい幸介、取るだの奪うだの、真由は物じゃねえんだぞ……?」
クラスでのことを思いだした。ヒソヒソ話で皆が自分の悪口を言っていた。
“勇一、幸介から真由取ったらしいぜ? クソ野郎だよな”
“コー君勇一に真由を奪われたらしいよ? 勇一って最低。コー君ほんとかわいそうだね”
本当は耳を潰してでも聞きたくなかった。精一杯強がっていたが苦しくてしょうがなかった。何も知らねぇくせに……、そう思っていた。でもそれだけじゃない違和感があった。
それが何か今になってようやく気付いた。

“真由は物じゃねぇんだ……”

「――真由は物じゃねぇんだよ! 真由には真由の気持ちがあるんだよ! それを奪うだとか、取るだとかよ! 真由の気持ちだろ? そもそも恋愛ってのは気持ちだろ? 誰かの物をだとかそんなんおかしいだろ? 真由だって、俺だって、お前だって一人の人間なんだからよ!!」
 幸介に向かって怒鳴り付けてはいるが、これはクラスの奴ら全員に対する気持ちだ。俺がそうやって大声を出すと幸介は目でわかりやすくひるんだ。
「――う、うるさいんだよ!」
 幸介が金切り声で叫ぶ。そして、幸介はポケットから小さなナイフを取り出し蚊の鳴くような声で話し出した。
「勇一……、お前はうるさいんだ。……うるさいんだよ。お前はいっつもそうだったなぁ。俺を見下して、説教して、偉そうに優しくしやがって……、もう、うんざりなんだよ。お前が俺に意見するんじゃねぇよ? 俺に殺されるくせによぉ! お前と俺とはもう立場が違うんだ。今までみたいに、お前に頼る俺と、頼られるお前じゃないんだよ、お前を狩る俺と狩られるお前なんだ。そこんところを勘違いすんじゃねぇよ! なぁ真由を放せよ? 俺は真由と一緒にこっから飛び降りるんだからよ。俺は最後の最後まで真由と一緒にいるんだからよ……、だって俺はお前なんかよりずっと真由が好きだし、真由が必要なんだ。真由だってそんな俺と死んだほうがいいんだよ、俺はお前と違って死んだって真由を愛し続けるんだからな。だから勇一、そこをどけよ、真由から手を放せよ、……っていうか死ねよぉ!!」
 幸介がナイフを振りかざしながら飛び込んできた。
――お前なんかに殺られるかよ!
 俺はデッキブラシで思いっきり向かってくる幸介の胸辺りを殴ってやった。ナイフが地面にカランと音を立てて落ち、幸介はあばらを抑えながら派手に倒れた。
 倒れこむ幸介を見下ろす。色々なことが頭に浮かんだ。さっきの言葉、慎ちゃんに俺を殴らせたこと、俺との話し合いがまるっきり嘘だった事……。
体がワナワナと震えてきた。
こいつが全部悪いんじゃないのか? こいつさえいなけりゃ全てが上手く行ってたんじゃねぇのか? こいつのせいで俺たちは殺されるはめになったんじゃねぇのか? ……そんな思いが体を支配した。そうだよ、幸介はシューティングスターとか言う自殺志願者側なんだよ。
……殺したほうがいいんだ。
 俺はデッキブラシを目いっぱい振り上げ、倒れている幸介の頭に振り下ろそうとした。
「やめて!!」
 真由が俺の腕を掴んでそれを止めた。
「――なんだよ?」
 真由を睨んだ。
「……そ、そんなことしたらコー君死んじゃうよ?」
 泣きながら言う。
「うるせぇ、放せよ! 一人でも多くこいつら減らさないとこっちがやられんじゃねぇか! しかも、もう助からないってくらいヤバいんだぞ! いや、もう助からねぇんだ!! だったら一人くらいよ――」
「――だからって、こんなことしたらダメだよ!」
「なんだよ? 俺はお前を助けようとして、お前のために……」
「――でも、コー君だよ!! 友達でしょ? コー君は勇一の友達でしょ?」
「はぁ? ふざけんなよ? 友達がナイフ向けてくるか?」
「コー君はきっと説得したらわかってくれるよ」
「本気で言ってんのか? そんなわけないだろ? 状況わかってんのか? 殺んなきゃ殺られんだよ!」
「それをどうにかする方法を考えようよ!!」
「そんなもんとっくに考えたよ! でも一つもなかったんだよ! あったら俺だってやってるってんだよ! とりあえず今はこいつらをなんとかしねぇとよ――」
 俺はまたデッキブラシを振り上げた。そんな俺を真由が羽交い絞めにして止める。
「やめて! 勇一!」
「放せよ! 俺たちこいつらに殺されんだぞ?」
「でも、みんな幸せになれたらそれが一番いいじゃん!! そういう道を探そうよ!!」
 真由が大声でそう叫んだ。その言葉で俺は全身から力が抜け、振り上げたデッキブラシをだらんと下ろしてしまった。
「………なれるわけないだろ?」
 小さく言い返した。
 そりゃそうだ、みんな幸せになれたらそれは俺だっていいと思うよ、……きっと真由の言っている事は正論だ。……真由の言っている事はいつでも正論だった。あのときだって、幸介やクラスの奴らを守った発言だって正論だった。
でも違うんだよ、……俺が欲しかったのはその向こう側の言葉だったんだ。正論や、道徳よりも強い愛の言葉が、気持ちが欲しかったんだ。俺は他の誰かを傷つけてでもお前と一緒にいたかったんだ。だからってみんなを傷つけろだなんて言っているわけじゃない。ただ真由にだって芯の部分ではそう思っていて欲しかったんだ……。
「……みんな幸せだ? そんなもんなれるわけないだろう、なれるわけないだろうが!!」
 俺は真由を振りほどいて怒鳴った。
誰もが幸せになんてなれるはずがないんだ。今回のことだってそうだった。俺たちの幸せの裏には幸介の不幸があって……、きっと誰かが幸せになると、誰かが不幸になってしまうように出来てるんだ。俺だってそんなことは悲しいよ。でも、一つの出来事でみんなが幸せになれるわけがないんだ。
俺は道徳や正論なんかを超えたところでお前と付き合っていたかったんだ。お前にも何を犠牲にしても二人でいたいってことを証明して欲しかったんだ。だって、恋人同士ってのは一生一緒にいる可能性だってあるだろ? 一生の愛にはその覚悟が必要だろ?
 横目で幸介がゆっくり立ち上がったのが見えた。額からは血が流れている。
「真由はやっぱり優しいなぁ……」
 振り返って幸介を見る。笑顔だった。
「きゃ〜〜〜〜〜〜」
すぐ横で真由の悲鳴が聞こえた。
俺がほんのちょっと目を離した隙に真由が天然パーマのじじいと、デブの高校生くらいの男に捕まってしまっていた。


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