勇一を刺し殺してやろうとしたのに、逆にデッキブラシでぶん殴られてしまった。その拍子に地面に額を打ち付けてしまったらしく額から血が出ている。……世の中は相変わらず理不尽すぎて不条理すぎる。
勇一からあんな目に合わされた俺が、その勇一に殴られるなんて……、どうしてまた俺が傷つくんだよ……。
「――みんな幸せになれたらそれが一番いいじゃん! そういう道を探そうよ!!」
 真由の声が聞こえてきた。綺麗な声だ。俺は真由の声が大好きだ。真由の声は透き通っていて、聞いてるだけでなんだか嬉しくなるんだ。夏には風鈴みたいに感じたし、冬にはシャリシャリと下柱を踏みしめる音みたいに愉快な音に感じだ。今の声はさしずめ教会のベルのようだ。
……うん、そうだね。真由の言う通りだよ。本当にみんなが幸せになれたらいいね。俺も躁思う。真由はやっぱり俺と一緒で綺麗だよ。この世界で唯一俺たちシューティングスターよりも純粋な存在かもしれない。
あぁ、真由の顔が見たいな。可愛らしくて、クルクルおもちゃみたいに変わる表情が見たいな。俺はゆっくり立ち上がった。傷は痛まない。
「真由はやっぱり優しいねぇ……」
 立ち上がりながらそう言うと勇一と目が合ってしまった。ちくしょう、見たかったのは真由の目なのに。……やめろよ。そんな汚れた目で俺を見るなよ。俺まで汚れるだろ?
「――きゃ〜〜〜〜〜〜」
 勇一の奥から真由の悲鳴が聞こえてきた。勇一から視線を外し、真由を探す。
 真由は山内さんと、池田に捕まっていた。
「――真由!」
同時に勇一も叫んでいた。
「おい! 俺はトーマさんから約束してもらってるんだ。真由は俺と飛び降りるんだよ。真由から手を放せ!」
さっき落としてしまったナイフを拾い上げ二人に向けて睨みつける。
 池田が口を開く。
「あんたがちんたらやってるからだろ? 俺たちは誰だっていいんだ」
二人が真由を抱えたまま金網の切れ目に向かいだした。
……ふざけるなよ、シューティングスターの中にも嘘吐きの卑怯者がいるのか? 俺たちの中にも汚い奴がいるのか? もうたくさんだよ。汚い奴らは見飽きたよ。
……汚い奴は俺が殺してやるんだ。そうだよ、こんな奴と真由を一緒に死なせてたまるかよ!
俺は池田に向かって走り出した。
――そんな汚い手で真由を触るんじゃねぇよ!!
隣で勇一も走っていた。そして勇一は山内さんをデッキブラシで殴り飛ばした。
俺はもう一人のまだ真由を汚い手で掴んでいる池田に突進する。ぐにゅると俺のナイフが突き刺さる。
血が噴出してきた。
一瞬ひるんで手を放してしまった。
それが失敗だった。
池田は倒れなかった。胸にナイフを突き刺したまま真由を金網の切れ目へと連れて行こうとしている。
嫌だ、嫌だよ、お前なんかと一緒に真由を死なせてたまるかよ。
俺は一心不乱に突っ込んだ。池田は吹っ飛び、俺は倒れてしまった。だけど真由は池田の手から放れた。
俺はすぐに立ち上がり真由のほうに走りよろうとした。しかし、池田が俺よりも先に立ち上がっていて真由に掴みかかろうとしていた。
すぐに池田に掴みかかった。池田の汚い手でこれ以上真由に触られたくないんだ。
そのうちに勇一が真由を抱きしめていた。真由も勇一に抱きついていた。
……見ていたくなかった。だけど、目を逸らせない。
真由と目が合った。
真由の目を見て気付いた。
……あぁそうだったんだ。
悔しさじゃなかったんだな。
憎しみじゃなかったんだな。
……あれは悲しみだったんだな。
俺は真由を勇一に取られて悲しかったんだ。ただ悲しかったんだ。悲しさに正面から向き合えない俺は憎むことに逃げていたんだ。
……だけどそれが今更何だっていうんだろう。きっと俺の後ろでは勇一が真由を抱きしめているんだ。憎しみじゃなく悲しみだとしても、それがなんなんだ? 真由は大好きだ。だけど勇一はムカつくよ。殺してやりたいよ。当たり前だ。
池田は俺に押さえつけられながらも、真由に掴みかかろうとしている。
……真由、こんな奴には真由を連れてかせないよ……。だって、だって俺は、

“もう二度と他の誰かに真由を奪われるのは嫌なんだ!!”

自分のもっている力を全て勢いに変えた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
 こんな大きな声は生まれて初めて出しただろうな。
池田を押しながら走った。金網の切れ目へと向かって走った。怖くない。“真由と一緒に”ってことは果たせなかったけど、俺は最後に真由を守るんだ。
勇一、ザマミロ。俺のがずっとずっと真由が好きなんだよ。
最後に少しだけ振り返った。真由が俺を見ていた。……やっぱりかわいいなぁ。
「真由ぅ……、大好きだよぉ……」
 真由から視線を外し前を見る。切り取られた金網越しに見える空はやけに青い。
「うおおおおおおおお!!!」
 さらに走った。
足場が消えた。
……落ちた。
 視界に入る全てが急激に上昇する。これが俺の最後の世界。
目を閉じた。
真由の笑顔が瞼の裏に張り付いていた。
久しぶりに見る真由の顔。
 嬉しいなぁ。嬉しいなぁ。だって死の間際に真由の顔が浮かぶんだ。だって真由が笑ってるんだ。嬉しいなぁ。嬉しいなぁ。嬉しいなぁ。
“ねぇ、真由? 俺はいったいどこで、何を、どうすれば、真由に愛され続けることが出来たの?”
 瞼の裏の真由は何にも答えてくれないで笑っているだけだった。
それでもいい。
“真由の笑顔大好きだよ……、ううん笑顔だけじゃない。……何もかもが好きだよ”
俺は真由と出会ってから、今、この死の瞬間まで真由でいっぱいなんだ。
それだけでいいんだ。
ううん、それだけがいいんだ。
 真由を好きになってよかった。
 出会えてよかった。
 またいつか会おうね、真由。
 真由は笑ってくれている。
 嬉しいなぁ。嬉しいなぁ。嬉しいなぁ。嬉しいなぁ―――――――。
 
□□□□

「真由!」
 幸介と同時に叫んだ。
「おい! 俺はトーマさんから約束してもらってるんだ。真由は俺と飛び降りるんだよ。真由から手を放せ!」
 幸介がナイフを拾ってそいつらに向ける。
「あんたがちんたらやってるからだろ? 俺たちは誰だっていいんだ」
 デブが言う。そして二人真由を抱えては金網のほうへ向かい歩きだした。
「真由を放せ!」
 俺も幸介もそいつらのほうへ走りだした。
 天然パーマのほうを俺がデッキブラシでぶん殴ってやった。そいつはそのままもんどりうって倒れる。
すぐ横でデブのほうの胸を幸介が刺した。しかし、刺しどころ悪かったのかそいつは胸にナイフを刺したまま真由を捕まえた手を離さないでじりじりと金網の隙間へと連れて行く。幸介はナイフから手を放し、そいつにタックルをかました。そのデブは真由を放し、倒れる。幸介もゴロゴロと転がった。
俺は真由の元に掛けより、膝をついて抱きかかえる。
「真由? 大丈夫か?」
「うん。大丈夫……」
 真由が俺に抱きついてきた。
「あ、コー君……」
真由の視線を追うように顔を上げると、幸介が真由を狙ってこっちにこようとしているデブを体を張って止めていた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
 幸介が叫びながらそのデブを押して走る。金網の切れ目へと向かっていた。きっとそのまま落ちる気だ。振り返った。叫び声が消える。小さな声がかすかに聞こえた。
「真由……、大好きだよ……」
 そして、一層でかい雄たけびを上げながらそのデブと一緒に屋上から飛び降りた。
「コー君!! いやぁぁぁぁ!!」
 真由が泣き声で叫ぶ。鼓膜が破れそう。

 ――ドン。

 ……幸介が死んだ。
俺の腕の中の真由が声を上げて泣き始めた。
「うっうっ、コー君……、いったいなんでこんなことになっちゃったのぉ……、私が悪いんだぁ……、そうだよ、全部私のせいなんだよぉ……、うっうっうっ……」
「……真由、ちょっと黙ってくれ……」
……ちくしょう、こんなのありかよ……? 俺を追い詰めた幸介が、大嫌いな幸介が俺の大好きな真由を守って死んだ。ふざけんなよ……、汚ねぇよ、そんなの汚いだろ!!
体の中を何百匹もの蛇がぞわぞわと駆け巡りはじめた。その蛇は一通り全身を通り終えると飽きたのか口から飛び出し声になった。
「――っ幸介ぇ!! テメーふざけんなよ!!」
 幸介の飛び立った金網の隙間に向かって叫んでいた。
 ……幸介ぇ、ふざけんなよ……? お前が真由を助けて死んだら、俺はお前を恨めないだろ? お前だってこのわけわかんねぇことの主催者側だろ? なんで俺たちを殺す側のお前が真由を助けて死ぬんだよ……? お前のこと嫌って精神をなんとか安定させてきたのに……。お前を認めたくないんだ。認めたら俺は最低でクズな略奪者になっちまうんだ……。お前が真由のことを愛しているってことが嫌なんだ。しかも、俺が真由に求めていた正論の向こう側の気持ちで愛してやがるなんて……。
 ちくしょう……、俺はなんて汚いんだよ。なんでいつでも自分の事ばかり考えるんだ。
 本当はわかってたんだ。自分が幸介から真由を奪ったってことは……、略奪愛だってことだってわかってたんだ。だから告白のとき「裏切りじゃない」だなんて強調したんだ。
……幸介が悪い奴じゃないことだってわかってた……。
でも認めるわけにはいかないだろ? お前を恨むしか道はないだろ? 嫌うしか方法はないだろ? ちくしょう……、なのにお前がこんな風になっちまったら……、ちくしょう……、ちくしょう!!
なぜだか全身に力がみなぎってきた。……これはきっと怒りによるものだ。
 デッキブラシを力強く握って立ち上がった。
俺は今まで周りのことを“なあなあ”に、適当に全部受け入れてきたんだろう。自分の感情を読まれたくないだとか言ってスカしてたんだろう。
でももう止めだ。納得いかないんだ。納得いかないことだらけなんだ。
あの時、真由が俺を説教したことが納得いかねぇ!
真由の絵に描いたような正論が納得いかねぇ!
慎ちゃんが話も聞かないで俺を殴った事が納得いかねぇ!
クラスの奴らが知りもしないくせに適当に言ってたことが納得いかねぇ!
友達だった慎ちゃんが頼んでも話を聞いてくれなかったことが納得いかねぇ!
慎ちゃんが目の前で殺されたのが納得いかねぇ!
幸介が、みんなに適当に言いふらした事が納得いかねぇ!
幸介が慎ちゃんに俺を殴らせた事が納得いかねぇ!
そんな幸介が真由を守って死んだことなんて本当に納得いかねぇ!
幸介が死んで真由が泣くのが納得いかねぇ!
大好きだった丈太郎先生が俺たちを殺すのが納得いかねぇ!
このシューティングスターシンドロームっていうわけわかんないことで俺たちが死んでいくのが納得いかねぇ!
俺がこのまま死ぬのが納得いかねぇ!
あぁそうだよ、なにもかも納得いかねぇんだ!!!
こうなったら一つだって受け入れてたまるか!!
足掻いてやるよ。受け入れないで足掻いてやる! 足掻いて足掻いて足掻きまくってやる。もうたくさんだ。わかってもらおうだなんて思っちゃいねぇよ。俺の思っていることを叫んでやるんだ。ふざけんなって、くそったれって叫んでやる! ダサかろうが、かっこ悪かろうが、言いたい事全部言ってやるんだ。
……そうだよ、こんなわけわかんないことで殺されてたまるかよ? 死んでたまるかよ…? 生き延びてやる。どんなことしても生き延びてやる。夏場のホームレスのケツの穴にキスしてでも生き残ってやるよ。
生き残って、そんで、これからは喚いて生きてやるんだ。適当に受け入れるなんてもう二度としねぇぞ。覚悟しとけよ? これからは何でもはっきり言ってやるぞ。
真由と一緒に生き残って、真由にだって文句言ってやる。ふざけんな、納得いかねぇ! って言ってやる。それでも好きだって言ってやる。
そうだ、生きるんだ。足掻くんだ。
しかし、この状況でどうすりゃ生き残れるだろうか?
考えろ。
本気になってできないことなんて何一つないはずだよ。
………やっぱりトーマだな。あの拳銃をかすめ取れば……、そうすりゃ何とかなるかもしれない。違う。何とかするんだ。意地でもなんとかするんだ。
少し先に見える昇降台に立っているトーマを睨みつけた。あいつも俺を見ている。目があった。
――笑いやがった!
……ちくしょう、今に見てろよ、この野郎!!
泣いてうずくまっている真由を背にして俺はデッキブラシを構える。
周りの人数も大分減っている。標的の少なくなったシューティングスター五人が俺たちに迫ってきている。俺はデッキブラシを振り回した。がむしゃらに振り回し続けた。
「来んじゃねぇ! 生き延びてやるんだ!」
「はっはっはっはっは! いいぞ勇一! それが見たかったんだ。醜く生に執着しながら、それでも殺されるお前らの絶望が見たいんだよ! はっはっはっは!」
トーマの声が遠くから聞こえてきた。うるせぇんだよ。お前がなんと言おうが俺たちは生き残ってやるからな。
「真由、立て!」
 蹲って泣いている真由は立つ気配もない。真由の腕を掴んだ。
「メソメソしてんじゃねぇよ! 走るぞ! 生き残るぞ!!」
 真由は答えなかったが、無理やり立たせて引っ張りながらシューティングスターから逃れるため必死に走った。追いつかれたり、回り込まれたりしたときは、デッキブラシをフルスイングでお見舞いしてやった。
 ドン、ドン、ドン。
しかし、明らかに向こうの数のほうが多い。嫌な音の感覚も狭くなってきた。それでも死んでたまるか。俺はそれでも真由を守りながら、走り、デッキブラシを振り回し続けた。


次へ

戻る